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「鶏が先か、卵が先か」(にわとりがさきか、たまごがさきか)という因果性のジレンマは、平たく言えば「ニワトリとタマゴのどちらが先にできたのか」という問題である。昔の哲学者にとってこの疑問は、生命とこの世界全体がどのように始まったのかという疑問に行き着くものだった。 教養的な文脈で「鶏が先か、卵が先か」と述べるとき、それは互いに循環する原因と結果の端緒を同定しようとする無益さを指摘しているのである。その観点には、この問いが持つ最も根源的な性質が横たわっている。文字通りの解答はある意味明白であり、初めて鶏の卵を産んだ鶏以外の一個体(またはその卵の父親を含む二個体)が鶏の存在を規定したと言える。しかしメタファーとしての視点に立つと、この問いはジレンマにつながる形而上学的問題をはらんでいる。そのメタファーとしての意味をよりよく理解するために、問いは次のように言い換えることができる。「X が Y 無しに生じ得ず、Y が X 無しに生じ得ない場合、最初に生じたのはどちらだろうか?」 同様の状態として、工学や科学での循環参照を挙げることができる。すなわちある変数を計算するためにその変数そのものが必要となるというものであり、例としてファンデルワールスの状態方程式や有名なコールブルックの式 (en:Colebrook equation) が挙げられる。 == ジレンマを解く試み == === 生化学 === ウォーウィック大学のマーク・ロジャー教授とデビッド・キグリー博士は、シェフィールド大学の共同研究者たちとの最近の研究を発展させた上で、次のように指摘している。すなわち実のところ、卵の殻の形成に関わる ovocleidin-17 という鶏の蛋白質が、殻ができる前にも、できた後にも、確かに産生されている。このちょっとした化学的作用は、どちらが先かという問いを以前よりさらに無意味にした、と彼らは述べている。ロジャー教授が言うには、「これは鶏が卵より先にあったことを本当に証明するだろうか。いいや今回の発見によって、その設問は面白くはあるが無意味だということが、さらに確定的となった。しかしこの科学的事実は、結晶化を効率的かつ素早く行なう手法につながる、新しい知見を与えてくれた。より体に馴染みやすい骨の開発研究、二酸化炭素を石灰石へいかに貯蔵/隠匿させるかという研究の助けになるだろう。」 しかしこれは、別の結論に達した先行研究と矛盾するかもしれない。ジョン・ブルックフィールド教授とデビッド・パピノー教授は次のように論じている。すなわち、かつて「最初」の鶏がいた以上、それはその鶏たる由縁を規定した卵から生まれたに違いない。 生物学者の PZ メイヤーは、上の主張の欠点を次のように指摘している。すなわち、 他の鳥類は卵の形成に別の蛋白質を利用しており、ovocleidin の進化は卵の進化と同時に起こったのではない。鳥類が爬虫類から分岐する以前より卵の形成に使われてきた蛋白質は別にあり、ovocleidin はそれを発展させる形で出現したのである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鶏が先か、卵が先か」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Chicken or the egg 」があります。 スポンサード リンク
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