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厚見村(あつみむら)はかつて岐阜県稲葉郡に存在した村である。名前はかつての厚見郡に由来する。 現在の岐阜市南東部の領下、上川手、下川手などに該当し、荒田川(新荒田川)の東岸に位置する。南北に細長い村であった。 北部の領下は中山道沿いの地域であり、現在も古い町並みが残る。南部の下川手はかつての川手城の城下町であったが、その面影は無い。 現在の地名は、領下・上川手・下川手・西川手・東川手・石切町・西明見町・大倉町・若杉町・神楽町・畷町・中洲町・村里町・矢倉町・光樹町・宮北町・正法寺町・城東通・島原町・東明見町などである。 == 歴史 == * この地域は美濃国厚見郡であった。 * 1353年(文和2年) - 土岐頼康により川手城が築かれ、川手に城下町が形成される。 * 1530年(享禄3年) - 川手城が廃城となる。 * 江戸時代、この地域は磐城平藩領〔厚見郡切通村の切通陣屋の領土である。〕(領下村)、加納藩領(上川手村・下川手村)であった。 * 1896年(明治29年)4月18日 - 厚見郡、各務郡、方県郡の一部が合併して稲葉郡となる。 * 1897年(明治30年)4月1日 - 領下村、上川手村、下川手村が合併して厚見村となる。 * 1955年(昭和30年)2月11日 - 厚見村が岐阜市に編入され、厚見村は消滅する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「厚見村」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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