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原 丈人(はら じょうじ、George Hara、1952年 - )は、日本の実業家、ベンチャーキャピタリスト、考古学者。父親はコクヨ元専務の原信太郎〔ほぼ日刊イトイ新聞 - とんでもない鉄道模型とすごいテレビ電話の話 〕。 == 来歴・人物 == 大阪府生まれ。慶應義塾大学法学部を卒業後、27歳の時まで中米で考古学調査に携わった。のちスタンフォード大学のMBA課程に進んだ。経営学を学ぼうとした目的はドイツの考古学者ハインリヒ・シュリーマンのように、商売をして研究資金を稼ごうとしたためであった〔『NPOジャーナル』Autumn 2008:36〕。その後国連フェローを務めた後、同大学の大学院で工学修士号を得た。29歳の時、光ファイバー・ディスプレイの開発会社、ジーキー・ファイバーオプティクスを設立した〔デフタ・パートナーズグループ会長 原丈人氏 | 特集 働くことは生きること|Social Ecoo 〕〔同社の製品は当初評価されなかったが、その後ウォルト・ディズニー・プロダクション(現ウォルト・ディズニー・カンパニー)に採用され、経営は軌道に乗った。〕。 1984年、ジーキー社を発展改組して得た自己資金で事業持株会社 DEFTA Partners を設立し、シリコンバレーで1980年代から1990年代にかけ、主に通信技術分野のベンチャーキャピタリストとして活動した。特にソフトウェア関連では Borland、PictureTel〔ビデオ会議システムの開発会社。2001年に Polycom (en) へ合併吸収された。〕、SCO、Tradex、Unify〔1980年創業のデータベース開発会社。〕、Wollongong〔ウロンゴン。デスクトップ向けTCP/IPスタック製品の開発会社〕 など 20 以上の会社の発展に寄与した。2000年以降は Oplus Technologies〔動画処理集積回路とソフトウェアの開発会社〕(2005年インテルへ吸収)、Broadware〔IPベース動画中継システムの開発会社〕(2007年シスコへ吸収)、Fortinet などアメリカおよびヨーロッパ各社の役員やコンサルタントを務めた〔George Hara - DEFTA Partners 〕。 2003年にはアメリカにおいて、サンフランシスコ市への貢献を理由に、National Republican Congressional Committee より National Leadership Award を受け、Republican Business Advisory Council の Honorary Co-Chairman となった〔。 2005年時点で、サンフランシスコとロンドンを軸に、米国、英国、イスラエル、韓国、日本でポスト・コンピュター技術の事業を営んでいる〔プロフィール 原 丈人 〕。 2005年からバングラデシュにおいて NGO の BRAC (en) と共同で「bracNetプロジェクト」を実施している。これはXVDを活用したインターネット網を構築し、遠隔教育と遠隔医療を提供する事業である〔デフタ・パートナーズグループ会長 原丈人氏 | 特集 働くことは生きること|Social Ecoo 〕。 2010年時点でアメリカにおいて、XVD Technologies の会長、アライアンス・フォーラム財団の会長を務めるほか、San Francisco Opera、University of San Francisco、Tokyo Foundation、Japan Society and the Hara Research Foundation の役員を務めている〔。 2012年より原鉄道模型博物館副館長。世界中を訪問して、父・原信太郎の鉄道関連コレクションの収集に協力している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「原丈人」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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