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原子 : ウィキペディア日本語版
原子[げんし]

原子(げんし、、 アトム)という言葉には以下の3つの異なった意味がある。
# 古代ギリシャのレウキッポスデモクリトスたちが提唱した、分割不可能な存在。事物を構成する最小単位。哲学の概念であって、経験的検証によって実在が証明された対象を指すとは限らない。
# 19世紀前半に提唱され、20世紀前半に確立された、元素の最小単位。その実態は原子核電子電磁相互作用による束縛状態である。物質のひとつの中間単位であり、内部構造を持つため、上述の概念「究極の分割不可能な単位」に該当するものではない。
# 上述の原子の概念を拡張し、一般に複数の粒子の電磁相互作用による束縛状態を原子と定義した時、この意味における原子のうち、原子核と電子のみからなるもの以外をエキゾチック原子と言う。
原子という言葉は日常生活及び自然科学の文脈においてはほぼ2番目の意味で用いられるが、哲学の文脈と哲学的な話題では1番目の意味で用いられることもある。
== 概要 ==
ドイツ語におけるAtomという言葉は、元はギリシャ語のἄτομοςであり、「分割できないもの」という意味である。物質に分割不可能な最小構成単位が存在するという考えは古代ギリシャの時代に遡り、そのような最小構成単位の存在に対する反論も歴史的になされてきた。
古代ギリシャのデモクリトスらは、原子論という仮説を唱えた。
17世紀フランスデカルトは、『哲学の原理』において、物質の部分は、どれほど小さくても延長を持っている以上、思惟の上では、さらに分割できる。ゆえに原子(冒頭の1番目の意味の)は存在しないと主張した〔デカルト『デカルト・哲学の原理』井上庄七、水野和久 訳、中央公論社(世界の名著27)1995年、380頁〕。
18世紀ドイツカントは、理性は原子に対して合理的な真理を確立しえないとした(第二アンチノミー)。
近代に入り、現代的な意味での元素(化学元素)の概念が確立されると、「原子」はその最小構成単位を意味するようになり、これが現代的な意味での原子となった。当初は仮想的な存在であった「原子」は、その後の研究でその存在が確実視されていくと共に、その「原子」が更に内部構造を持つことも明らかになっていった。現代的な意味での原子は、もはや究極の分割不可能な単位ではなく、あくまで元素(これももはや世界の究極の構成要素ではないが)が元素としての性質を保ちつづけることができる限りにおいての最小単位である。
「原子」という言葉が、その原義と矛盾する、物質の一つの構成単位に割り当てられたので、その後「(仮説的な)分割不可能な単位」という概念を指すために「素粒子」という言葉が新たに造語され用いられている。つまり、かつて「原子論」と呼ばれる分野で行われていた科学的な実験・推察・考察は、現在では「素粒子論」と呼ばれる分野において行われている。
冒頭定義文の2番目の意味での原子(=現代科学における、中間構成単位としての原子)は、先述のとおり化学元素の最小単位であり、下部構造として原子核電子が存在する。原子核と電子は電磁相互作用クーロン力)によって結びつき、かつ量子条件に基づく一定の安定した運動エネルギーを持っている。また、原子核は更に陽子中性子から構成され〔ただし軽水素の原子核は一つの陽子のみで構成され中性子を含まない。〕、その組み合わせに応じて現在約3000から約6000種類の原子の存在が知られている。ここで原子の化学的性質は、原子核の電荷(=陽子の数=中性な場合の電子の数)によってほぼ規程されることが経験的・理論的に知られているため、陽子の数が等しいものは同じ元素を構成する原子として扱われており、2013年現在、114種類の元素(原子)の発見が国際的に認められている。
原子の半径10-8cm程度であり、質量10-24~10-22g程度である。地球上では原子は通常、複数の原子が化学結合によって結びついた分子結晶として存在しているが、希ガスのように1個の原子が単独で存在している場合(単原子分子)もあり、宇宙空間のような真空に近い環境下では希ガス以外の原子も単独で存在している。
日常世界がほぼ古典論による世界であるのに対し、原子・分子レベルでは量子論が重要になる。すなわち、ミクロスケール・ナノスケールの世界においても原子・分子のスケールに至る手前までは我々の直感的な物質感が概ね通用するが、原子・分子レベルの世界では直感的な物質感はもはや通用しなくなる。また、原子より大きな世界(原子核と電子の相互作用を含む)が電磁相互作用重力相互作用に支配されているのに対し、原子核内部などより小さな世界では強い相互作用弱い相互作用が重要な役割を担っており、原子(原子核)のスケールを境として自然を支配する基本相互作用の様相が大きく異なっている。
近年では、走査型トンネル顕微鏡原子間力顕微鏡を用いて、原子の一粒一粒が識別可能な分解能の像を観測したり、原子を一粒単位で移動させたりすることも可能になっている。
20世紀後半以降、我々にもっとも馴染みのある原子にかかわる事象のひとつは原子力だが、これは原子核の分裂融合によってエネルギーを得るものであり、現在の科学における原子が分割できない不変の存在ではないことを端的に表している。
== 歴史 ==
「物質」が、「極めて小さく不変の粒子」から成り立つという仮説・概念は紀元前400年ごろの古代ギリシア哲学者レウキッポスやデモクリトスの頃から存在していた。だが、この考えは当時あまり評価されたとは言えず、その後およそ2000年ほど間、大半の人々から忘れ去られていた。
19世紀初頭のイギリスの化学者ドルトンが、近代的な原子説を唱えた。彼は、化学反応の前後の物質の質量の変化に着目し、物質には単一原子(現在の原子)と複合原子(現在の分子)がある、との説を述べた。だが、当時の科学者の多くは物質に本当にそのような構成単位があるのか大いに疑っていた。科学者の共同体では「原子が存在するとは信じません」と言う科学者の方が、むしろまともだと考えられていたという〔デヴィッド・リンドリー『ボルツマンの原子』p.1〕。
19世紀後半、ルートヴィヒ・ボルツマンは、気体を原子仮説で想定されている「原子」なるものの集合と考えれば、(当時知られていた)気体の特性の多くが説明できると考えた。「原子」なる仮説的存在が動き回っているとすると、温度や圧力の性質も説明しやすいし、蒸気機関において熱い気体がピストンを押すという仕事をすることも説明しやすかった。

20世紀初頭にラザフォードソディが発見したウラン放射壊変は原子の概念を大きく変えた。原子は不変の粒子ではなくなったからである。これに先立つ陰極線の発見とあわせ、近代的な原子モデルを確立したのがトムソンである。彼のブドウパンモデルはちょうど、ぶどうパンのように、正に帯電した「パン」の中にブドウのように電子が埋まっているというものだった。一方、長岡半太郎は正に荷電した原子核のまわりを電子が回っているとする、惑星系に似た原子モデルを考案した。その後、ラザフォードは実験によって原子核の存在を確認し(ラザフォード散乱)、惑星型の原子モデルを確立した。
長岡やラザフォードのモデルの妥当性は実験的には確かであったが、一方で原子の安定性を理論的に説明することは困難であった。原子核のまわりを回る電子は、既知の電磁気学によれば電磁波を放出して一瞬のうちに原子核に落ち込んでしまうからである。1913年ニールス・ボーアは原子の安定性を説明するために量子条件に基づく電子の円軌道モデル(ボーアの原子模型)を考案した。ボーアのモデルは実験的に見積もられた原子半径と同程度の原子半径を与え、更に水素原子のスペクトルをほぼ説明できることを示した。また、ゾンマーフェルトはボーアのモデルを楕円軌道モデルに拡張し、より実験との整合性の高いモデルとした。量子条件は、当初は原子の安定性を説明するための方便に過ぎないと見做されていたが、その後の量子力学の発展によって、それまでの物理的世界観を根本から変える自然の基本原理であることが分かった。
現在では、原子と電子の関係については量子力学によって概ね解明されているが、原子核については今でも分からないことが多く、原子核物理学では理論的・実験的研究が盛んに行われている。また、量子力学の発展に伴い、当初の原子論が暗黙裡に含んでいた素朴な図式・世界観(球状の何かの想定、モノが絶対的に実在しているという素朴な観念、つまり確率論的レベルを超えて実在しているという素朴な観念)は根本的に崩壊した。物理学の理論全体としては、原子論は当初となえられていたものとは極めて異質なものになっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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