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原 市之進(はら いちのしん、天保元年1月6日(1830年1月31日) - 慶応3年8月14日(1867年9月11日))は、水戸藩士、一橋徳川家家臣。藤田東湖の従弟に当たる。幼名は小熊。諱は忠敬、忠成。別名は任蔵。号は尚不愧斎。字は仲寧。通称は伍軒先生。 ==略歴== * 天保元年1月6日(1830年1月31日) - 水戸藩藩士・原雅言の次男として生まれる。のちに弘道館で学ぶ。 * 嘉永6年(1853年)- 昌平坂学問所に入学する。その後、水戸に帰国して弘道館の訓導(教師)となり、奥右筆頭取に任命された。 * 文久3年(1863年)- 徳川慶喜の側近となり慶喜の補佐を務める。 * 元治元年(1864年)- 慶喜の側用人(一橋家家老)であった平岡円四郎が暗殺されると、慶喜の側用人となる。 * 慶応2年(1866年)- 慶喜より幕臣として取り立てられ、後に目付に就任。原自身は聡明で慶喜に忠義を尽くしていたが、その功績を妬む者も多く、平岡同様に奸臣と見なされていた。 * 慶応3年8月14日(1867年9月11日)- 同僚の鈴木豊次郎・依田雄太郎によって暗殺された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「原市之進」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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