翻訳と辞書
Words near each other
・ 原州文化放送
・ 原州東部プロミ
・ 原州江陵線
・ 原州法泉寺址智光国師塔
・ 原州空港
・ 原州警察署
・ 原州運転免許試験場
・ 原州駅
・ 原市
・ 原市中学校
原市之進
・ 原市場下成木線
・ 原市場村
・ 原市沼
・ 原市沼川
・ 原市町
・ 原市町 (埼玉県)
・ 原市町 (群馬県)
・ 原市藩
・ 原市駅


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

原市之進 : ウィキペディア日本語版
原市之進[はら いちのしん]
原 市之進(はら いちのしん、天保元年1月6日1830年1月31日) - 慶応3年8月14日1867年9月11日))は、水戸藩士、一橋徳川家家臣。藤田東湖の従弟に当たる。幼名は小熊。は忠敬、忠成。別名は任蔵。号は尚不愧斎。字は仲寧。通称は伍軒先生。
==略歴==

* 天保元年1月6日(1830年1月31日) - 水戸藩藩士・原雅言の次男として生まれる。のちに弘道館で学ぶ。
* 嘉永6年(1853年)- 昌平坂学問所に入学する。その後、水戸に帰国して弘道館の訓導(教師)となり、奥右筆頭取に任命された。
* 文久3年(1863年)- 徳川慶喜の側近となり慶喜の補佐を務める。
* 元治元年(1864年)- 慶喜の側用人(一橋家家老)であった平岡円四郎が暗殺されると、慶喜の側用人となる。
* 慶応2年(1866年)- 慶喜より幕臣として取り立てられ、後に目付に就任。原自身は聡明で慶喜に忠義を尽くしていたが、その功績を妬む者も多く、平岡同様に奸臣と見なされていた。
* 慶応3年8月14日(1867年9月11日)- 同僚の鈴木豊次郎依田雄太郎によって暗殺された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「原市之進」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.