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原樹理 : ウィキペディア日本語版
原樹理

原 樹理(はら じゅり、1993年7月19日 - )は、プロ野球選手(投手)。東京ヤクルトスワローズに所属する。
== 経歴 ==

=== プロ入り前 ===
兵庫県加古川市出身。小学校1年生から軟式野球を始め、市立加古川中部中を経て東洋大学附属姫路高等学校に進学。
東洋大姫路高では2年次にエース投手となり、3年次に兵庫県大会決勝で加古川北高校と対戦し、15回2失点196球を投げ決着がつかず延長引き分け再試合となった。翌日の再試合でも先発をし、9回完封で抑え第93回全国高等学校野球選手権大会に出場を果たした〔東洋大姫路・原が再試合完封/兵庫大会 日刊スポーツ(2011年7月31日)、2015年12月10日閲覧。〕。初戦となった2回戦の永江恭平擁する海星戦、3回戦の新湊戦で勝ち投手となったが、準々決勝の光星学院戦で9回2失点ながら敗戦投手となり、ベスト8で敗退した〔原 真価見せたが… 「もう少し監督さんと野球したかった」 スポーツニッポン(2011年8月17日)、2015年12月9日閲覧。〕。甲子園通算3試合、25回11奪三振、防御率1.08。大会後は、第9回AAAアジア野球選手権大会日本代表に選出された。
卒業後は系列校の東洋大学へ進学。東都大学リーグでは1年春から登板機会があり、亜大九里亜蓮と互角の投げ合いを演じたこともあったが〔東洋大完封負け!春6連覇消滅 ニッカンスポーツ(2012年5月10日)、2015年12月9日閲覧。〕、チームは1年秋に2部へ降格。2年次に肘を故障し遊離軟骨の除去手術を受けたこともあり、2、3年次は登板の機会が少なく、3年春の時点で大学通算の勝ち星は3勝に留まっていた。しかし、4年次に野球部の主将となり、4年春のリーグ戦で登板10試合で8勝1敗(うち完封4度)、防御率0.69の好成績を残し、リーグの最優秀投手にも選ばれた〔阪神、東洋大のタフネス右腕・原樹理を上位リストアップ サンケイスポーツ(2015年10月22日)、2015年12月9日閲覧。〕。8月に行われた巨人二軍との練習試合では、8回まで無安打無失点投球を続けた〔【とにかく投げまくる】東洋大・原樹理投手 スポーツ報知(2015年10月20日)、2015年12月9日閲覧。〕。4年秋もリーグ戦12試合中10試合に登板して6勝、防御率1.44の成績を挙げ、東洋大の2部優勝に貢献した〔東洋大2部優勝 ドラ候補の原スカウト前で9K完封 ニッカンスポーツ(2015年10月20日)、2015年12月9日閲覧。〕。
2015年10月22日に行われたドラフト会議で、阪神タイガースとの抽選の末に高山俊の交渉権を外した東京ヤクルトスワローズに外れ1位で指名された〔ヤクルトは外れ1位で東洋大・原樹理の交渉権 ニッカンスポーツ(2015年10月22日)、2015年12月9日閲覧。〕。この後、東洋大は1部リーグ最下位の駒大との入れ替え戦に進出。横浜DeNAベイスターズから同年のドラフト1位で指名された今永昇太との投げ合いとなった初戦こそ敗れたが、2回戦は救援で4回2/3を投げて勝利投手となり、3戦目は再び今永との投げ合いとなったが完投勝利。3試合で計285球を投げ、東洋大の一部昇格に貢献した〔【東都】東洋大・原、ドラ1対決制し1部昇格 高橋監督「3年間は長かった」 スポーツ報知(2015年11月10日)、2015年12月9日閲覧。〕〔ドラ1対決 原が今永に投げ勝ち東洋大が1部昇格 ニッカンスポーツ(2015年11月11日)、2015年12月9日閲覧。〕。その後の11月30日に入団交渉に臨み、契約金1億円、年俸1500万円で合意した〔ヤクルトのドラ1原が仮契約「シーズン通し1軍で」 ニッカンスポーツ(2015年11月30日)、2015年12月9日閲覧。〕。
スコアボードの表示は金子千尋高橋光成同様、フルネームの原樹理と表示される。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「原樹理」の詳細全文を読む



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