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原田俊太郎[はらだ しゅんたろう]
原田 俊太郎(はらだ しゅんたろう、1955年〔公式サイト『太鼓叩き』のプロフィールページ では「2005年50歳になる」とあり、逆算すると原田が1955年生まれであることがわかる。〕 - )は、日本のジャズ・ドラマー、音楽プロデューサー。本名は原田 俊一(はらだ しゅんいち)〔明治大学 楽友会ホームページ - 活動するOB・OG リンク集 〕。デビュー当初は本名名義で音楽活動をしていたが、その後今の芸名に改名した。 == 来歴・人物 == 幼少時にピアノを習う〔原田俊太郎 - Jazz Page 〕。小学校高学年の頃、家のスティックを持ち出してドラムを始める〔。中学校・高等学校時代はロックに夢中になったが〔、マイルス・デイヴィスのアルバム「マイルストーンズ」を聴いてジャズ・ドラマーを志す〔。明治大学文学部に入学してからは、明治大学モダンジャズ研究会・メランコリーキャッツに入会、レコード喫茶やライブハウスに入りびたる〔〔公式サイト『太鼓叩き』のプロフィールページ 〕。 1976年11月、原田と同じくメランコリー・キャッツのメンバーだったギタリストの安藤正容、明治大学軽音楽クラブ内のジャズ・ビッグバンド・明治大学ビッグサウンズソサエティーオーケストラのメンバー〔だったキーボーディストの袴塚淳、それに安藤と1973年以来共演しているベーシストの中村裕二〔スクェアの3枚目のアルバム『Make Me A Star』に封入されている音楽評論家・岩浪洋三が執筆した解説文より。〕とTHE SQUARE(現T-SQUARE)を結成した〔『T-SQUARE 25TH ANNIVERSARY 1976-2001』 リットーミュージック、2001年12月25日第1版発行、ISBN 4-8456-0732-8、10、93頁〕。その後4ビートを志しスクェアを退団〔『T-SQUARE 25TH ANNIVERSARY 1976-2001』、26頁〕、阿川泰子のバックバンドのドラマーとなる〔〔。1978年明治大学を卒業〔。杉原淳とニュー・サラブレッツに参加して、大橋巨泉が司会を務める『11PM』に5年間出演〔〔。その後はセッション、自らのグループでの演奏、プロデュース業で活動。プロデューサーとしては斉藤こず恵のプロデュースを手がけている〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「原田俊太郎」の詳細全文を読む
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