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原田十衛 : ウィキペディア日本語版
原田十衛[はらだ じゅうえ]

原田 十衛(はらだ じゅうえ、文久元年12月27日故原田十衛位階追陞ノ件 〕(1862年1月26日) - 昭和16年(1941年8月7日〔)は、日本の衆議院議員立憲政友会政友本党→立憲政友会)、ジャーナリスト
== 経歴 ==
肥後国飽田郡古町村(現在の熊本県熊本市西区二本木)に生まれる〔『第二十八議会衆議院議員写真列伝』p.180〕。西南戦争の際には熊本隊に加わって、薩摩軍とともに戦った〔『現代日本の政治家』政友会 p.24〕。1883年明治16年)より3年間、中江兆民の仏学塾でフランス語漢学を学んだ〔。その後、熊本の「九州自由新聞」と福島の「福島民報」で主筆を務め、秋田市で「秋田日報」を起ちあげた。東京に戻ってからは、政友会系の自由通信社に入った〔。
松田正久の知遇を得、1900年(明治33年)に松田が文部大臣に就任すると秘書官となった。その後、松田が1906年(明治39年)に司法大臣に、1908年(明治41年)に大蔵大臣に就任した時も、それぞれ秘書官を務めている〔。
1908年、第10回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、7回連続当選を果たした。その間、尾崎行雄市長のもとで東京市助役を務めた。
その他、熊本米穀取引所理事長、肥後農工銀行監査役、熊本電気株式会社取締役などを務めた〔『衆議院要覧』〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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