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原田孫七郎[はらだ まごしちろう]
原田 孫七郎(はらだ まごしちろう、生没年不詳)は、安土桃山時代の商人。また、「ガスパル」の洗礼名を持ちガスパル原田とも呼ばれる。 長崎で貿易を営む原田喜右衛門の部下であった。海外情勢に詳しかったため1591年豊臣秀吉の使者として、スペイン領フィリピンに日本国への朝貢を要求する内容の書状を持ってマニラのスペイン領フィリピンの総督ゴメス・ペレス・ダスマリニャスのもとに出向き交渉した。 また、文禄2年(1592年)4月、原田喜右衛門は豊臣秀吉の使者として、マニラに到着した。当時在マニラの支那人約2000人が蜂起して、スペインの総督府を襲たが、原田喜右衛門は、手勢を率いてスペイン側に加勢し、支那兵を殲滅した。 また、文禄3年(1593年)、現在の台湾にあるとされた「高山国」に秀吉の命で朝貢を促す文書を届けようとしたが、高山国が存在しない国家だったため交渉先を見つけることができずその試みは失敗した。その後の孫七郎の消息は不明。 ==関連項目==
*日本とフィリピンの関係
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「原田孫七郎」の詳細全文を読む
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