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原田昇左右 : ウィキペディア日本語版
原田昇左右[はらだ しょうぞう]

原田 昇左右(はらだ しょうぞう、1923年7月15日 - 2006年7月2日)は、日本政治家、元自由民主党衆議院議員静岡県焼津市出身。愛称は「ハラショー」。元衆議院議員の原田令嗣は長男。正三位勲一等旭日大綬章
== 来歴・人物 ==
静岡中学静岡高校を経て、1946年東京帝国大学第二工学部卒業後、農林省現農水省)に入省。後に運輸省に転じる。1974年に運輸大臣官房審議官を最後に退官、1976年の衆院選に西村直己の後継者として旧静岡1区から出馬し初当選(当選同期に愛知和男鳩山邦夫中村喜四郎中島衛西田司池田行彦堀内光雄相澤英之津島雄二鹿野道彦塚原俊平中西啓介与謝野馨渡辺秀央中川秀直甘利正など)。以後連続当選9回。自民党では宏池会に所属。通産政務次官を経て、1989年第1次海部内閣建設大臣として初入閣。衆議院予算委員長なども務めた。
2000年に派閥領袖である加藤紘一が起こした「加藤の乱」では、大半の宏池会幹部が加藤に反発する中、数少ない加藤の同調者となる。2002年春の叙勲で勲一等旭日大綬章を授けられた。2003年くも膜下出血で倒れ、同年の総選挙には出馬せず政界を引退した。
2006年7月2日、急性腎不全のため東京都目黒区内の病院で死去。82歳。死後、正三位に叙された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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