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原田 東岷(はらだ とうみん、1912年 - 1999年(平成11年)6月25日)は、日本の外科医、平和運動家。広島市出身。 第二次世界大戦中、軍医として中国大陸を転戦する。1946年(昭和21年)に広島に戻り、原子爆弾投下直後の同市で爆心地にバラックの外科病院を作り、治療を開始する。被爆によるケロイド治療や原爆医療法の制定で中心的な役割を担うなど被爆者医療に尽力した。外科医としての活動の傍ら、平和運動に参加。1955年(昭和30年)体にケロイドの残る「原爆乙女」に付き添う形で訪米。渡米治療に道を開くとともに、原爆の惨禍を世界に伝えた。 1999年(平成11年)6月25日急性肺炎のため広島市内の病院で死去。87歳。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「原田東岷」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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