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原田重久[はらだ しげひさ]
原田 重久(はらだ しげひさ、1901年1月16日 - 1985年12月14日)は、昭和時代後期日本の郷土史家、脚本家、作詞家。 == 経歴 == 1901年(明治34年)、東京府北多摩郡谷保村(現在の東京都国立市)に生まれる〔一部に「1906年(明治39年)生」とする資料もあるが『雑草の記』の奥付や複数の新聞に掲載された訃報記事の年齢を基にすれば1901年生が正しい。〕。1930年(昭和5年)、サンデー毎日主催の大衆文芸賞で『失踪する鮒次郎』が同年上期の佳作を受賞〔サンデー毎日1930年3月16日号発表。〕。 谷保村役場の主事を務めていた1947年(昭和22年)3月、東京都が行った「東京都歌」作詞の懸賞募集において応募作が一等入選で採用された〔東京のうた, p253〕。同年4月の第1回統一地方選挙で村議会議員選挙に無所属で立候補し初当選、谷保村議・国立町議を務める。 1955年(昭和30年)に町議を退いた後はラジオドラマやテレビ人形劇の脚本家、教育番組『世界と日本』のコメンテーターとして活動した。晩年は郷土史家として多摩地域の民俗や伝承に関する研究に従事し、公立学校の校歌を多数作詞している。 1985年(昭和60年)12月14日逝去。享年85(満84歳没)。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「原田重久」の詳細全文を読む
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