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島津雅彦[しまづ まさひこ]
島津 雅彦(しまづ まさひこ、1952年10月1日 - )は、日本の元俳優、元子役俳優である〔キネマ旬報社, p.272.〕〔''島津雅彦''、''jlogos.com'', エア、2012年12月2日閲覧。〕〔''島津雅彦''、日本映画データベース、2012年12月2日閲覧。〕〔''島津雅彦''、日活データベース、2012年12月2日閲覧。〕〔''島津雅彦''、映画データベース、東宝、2012年12月2日閲覧。〕〔''島津雅彦''、テレビドラマデータベース、2012年12月2日閲覧。〕。本名原田 龍三郎(はらだ りゅうざぶろう)〔〔。 == 人物・来歴 == 1952年(昭和27年)10月1日、鹿児島県鹿児島郡谷山町大字上福元(現在の同県鹿児島市谷山中央)に、父・原田敬二郎、母・原田幸子、3男1女の兄弟の三男として生まれる〔〔。父は同地に「谷山映画劇場」(のちの谷山東映、現存せず、現在跡地は鹿児島情報高等学校)を経営していた〔。 1958年(昭和33年)の初頭に、日活の撮影隊が鹿児島でのロケーション撮影を行った際に、地元の興行組合がそれを歓迎する宴席を行ない、その場で、女優の月丘夢路に花束を渡す役を当時5歳の島津が務め、同社にスカウトされたのが、映画界入りのきっかけであった〔。その後、東京に移って日本アーチストクラブに所属し、同年4月22日に公開された吉村廉監督の『少女と風船』に出演して子役としてデビューした〔〔。同年、日活での出演をつづけるかたわら劇団若草で3年ほど演技・発声、藤間勘紫乃に師事して日本舞踊を学ぶ〔。松竹大船撮影所が製作した映画『お早よう』(1959年)、『夕陽に赤い俺の顔』(1961年)には「島津雅彦(若草)」とクレジットされている〔お早よう 、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年12月2日閲覧。〕〔夕陽に赤い俺の顔 、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年12月2日閲覧。〕。 1959年(昭和34年)4月、東京都新宿区の新宿区立富久小学校に入学する〔。多くの映画出演、テレビ出演、雑誌モデル等の活動を行っていたが、学業専念のため、1964年(昭和39年)、小学校6年次に鹿児島に戻り、鹿児島市立山下小学校に転校した〔。その後、鹿児島市立甲東中学校の在学中にテレビ映画『戸田家の兄妹』〔、鹿児島県立鹿児島中央高等学校の在学中に瀬川昌治監督の『喜劇 満願旅行』にそれぞれ出演している〔〔。同校卒業後の1973年(昭和48年)4月、慶応義塾大学法学部政治学科に進学する〔。1974年(昭和49年)3月、学生結婚を経て、1977年(昭和52年)3月に同学を卒業した〔。映画界からは引退している〔〔〔〔〔。 現在は本名の「原田 龍三郎」の名で「紫微斗数推命」鑑定士として活動している〔プロフィール 、アーパステレサ、2012年12月2日閲覧。〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「島津雅彦」の詳細全文を読む
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