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原 鵬雲(はら ほううん、天保6年(1835年) - 明治12年(1879年)8月1日)は、幕末から明治時代に活躍した絵師。文久遣欧使節に随行した絵師だと考えられ、初めて西洋美術を目撃した日本人絵師。帰国後は、日本洋画草創期の画家の一人となった。 == 略伝 == 生地や家系は不明。字は士龍、通称は市助、のちに覚蔵、一介または介一。号は、寉亭のち鵬雲。徳島藩の鉄砲足軽で、現在の徳島市秋田町に住んだ。1847年(弘化4年)徳島藩鉄砲方出身で御用絵師の守住貫魚に入門し、住吉派を学んだ。1854年(安政元年)ペリー再来日の際は、徳島藩の銃卒の一人として大森・羽田の警護に参加、「徳島藩大森羽田出陣絵巻」を描く。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「原鵬雲」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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