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厨川城 : ウィキペディア日本語版
厨川城[くりやがわじょう]

厨川城(くりやがわじょう)は岩手県盛岡市陸奥国岩手郡)にあった日本の城である。別表記には栗谷川城(くりやがわじょう)。
平泉滅亡から盛岡開府までのおよそ400年間、盛岡地域の行政拠点となった城柵である。
== 概要 ==
厨川城は、元は鎌倉幕府御家人工藤氏の居城である。工藤小次郎行光は奥州合戦の際に源頼朝に従い、岩手郡の33郷を与えられたとされるが、その領地は後世に岩手郡厨川周辺のみとなり、工藤氏の一派は「栗谷川氏」を名乗った。城跡の北部は切り立った崖になっており、その下を流れる北上川を自然の外堀とした。現在も往時の掘割の跡が残されている。
天正20年(1592年)、盛岡城築城に伴い破却された。
盛岡市と厨川村との合併まで、この地は「岩手郡厨川村字館」と呼ばれていたが、後に「盛岡市安倍館町」となった。
これは厨川城跡が、源頼朝の軍勢によって攻められた平安時代の豪族安倍氏の居館跡だと言い伝えられてきたためである。
同様、''安倍館''と呼ばれる場所は岩手県の各所に存在するが、盛岡市安倍館町にある埋蔵遺跡「安倍館遺跡」からは、安倍氏の時代の遺構はいまだ発見されておらず、この地が安倍氏の居館であったという確証を得るには至っていない。
同地内には「安倍館跡」と刻まれた石碑があり、「厨川柵」の一部、または安倍氏の城柵「嫗戸柵」であるという見方もあるが、現在のところ伝承に基づく疑定に留まっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「厨川城」の詳細全文を読む



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