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参議院議員団(さんぎいんぎいんだん)は、政党の参議院における国会活動を審議決定し執行する、政党内に置かれる組織。それぞれの政党所属の参議院議員によって構成される。ある程度以上の規模を持つ政党の場合、党首・党三役など執行部の主要な役員は普通衆議院議員が占めるため、参議院議員団は独自に政策部会や国会対策委員会を持つ。 その政治的影響力は長年、党本部のそれには到底及ばないものとされてきた。ただねじれ国会の定着や政党内での衆参議員の拮抗から、影響力を増している例もある。 政党によって議員団及び役員の名称が多少異なるが、ここでは一括して扱う。 == 自由民主党 == === 参議院議員総会 === 自由民主党においては党則 において参議院議員総会を置き、その執行機関として参議院議員総会長(参議院議員会長、以下「参院会長」)、参議院幹事長、参議院政策審議会長、参議院国会対策委員長など必要な役員を置く旨の規定がある。参院会長は参議院議員の中から選挙で選ばれ、その他の役員は参院会長によって指名され、総会の承認を受けて決定される。参院会長は閣僚経験者が就任する慣例となっている。これらの役員は参院議員団内部の手続のみで選出されるため、自治組織の体を擁しているが、現実には派閥の領袖(殆どの場合は衆院議員)が事実上決定するようなことがままある。 内閣総理大臣になる可能性が現実的にない参議院議員にとって、 # 参議院枠の国務大臣又は内閣官房副長官 # 党参院幹事長 # 党参院会長 # 参議院議長 という階梯が出世コースとして長年慣例化していた。 自民党においては、党総裁・党三役をはじめとする党役員および閣僚の大半はいずれも衆議院議員で占められるということもあり、参議院議員団の影響力はあまり大きくなかった。但し組閣においては、参議院議員団の入閣要望者リストを尊重するのが慣例で、これが政権と議員団(特に参院幹部)との関係を良好にする上で必須とされた。派閥の影響力が低下した2000年代にあっても、その意思は尊重された。 参議院議員団への閣僚割り当て枠は、参議院枠と呼ばれた。一時は1名のみ(第1次小泉内閣での片山虎之助)だったこともあるが、概ね2名が割り当てられた。また1974年以降、参議院議員団では入閣は一度きり、離任したら再入閣はないという不文律があった。但し例外もままある(例:森山真弓(後に衆院へ鞍替え)、井上吉夫、若林正俊、中曽根弘文、林芳正ら)。 しかし、小渕内閣の頃から、参議院において自民党が過半数割れしている状況で野党にパイプを持つ村上正邦参院会長・青木幹雄参院幹事長(青木は小渕内閣第2次改造内閣から一時内閣官房長官を務めた)体制の下参議院幹部の発言力が強まり、小渕首相危篤に伴う後任の決定に村上と青木が五人組の一角として森喜朗の擁立に関与するまでになった。結果として参議院議員団では、大派閥を後ろ盾にした参院会長を頂点とする強力なトップダウン体制が実現し、参院会長は「天皇」と奉られた。 2010年、無派閥・若手に支援される形で、派閥に属さない議員である中曽根弘文が参院会長に選出され、参院幹部からいわゆる“ドン”が排除された。しかし慣例にとらわれない人事や国会対策をおこなった結果、議員団内の対立が深刻化し、ある程度の妥協を余儀なくされている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「参議院議員団」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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