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又吉 直樹(またよし なおき、1980年6月2日 - )は、日本のお笑いタレント、脚本家、小説家、俳人であり、ピースのボケ担当である。 大阪府寝屋川市出身。 吉本興業東京本社(東京吉本、厳密には子会社のよしもとクリエイティブ・エージェンシー)所属。芥川賞受賞者。 == 来歴・人物 == 大阪府寝屋川市で、4歳年上と3歳年上の姉の下に生まれる。父は沖縄県、母は奄美群島・加計呂麻島の出身〔芥川賞「大したもんじゃ」 又吉直樹さん父は実家の名護市で朗報 .沖縄タイムス(2015年7月17日).2015年8月1日閲覧。〕〔又吉直樹、島へ行く。 母の故郷〜奄美・加計呂麻島へ .BSジャパン(2014年3月8日放送).2015年8月1日閲覧。〕。比較的貧しい家庭で育ち、家族で焼肉店に食事に行っても「焼肉2枚でお腹一杯だから」と母や祖父が無理をして子供たちに食事を譲り、子供たちもそれを分かっていて親に「お茶漬けでお腹一杯」と食事を譲る、と言った生活をしていた、と本人は語っている。国語の実力テストの偏差値75で全国トップになったことがある〔残酷なコンビ格差!ピース又吉の相方・綾部、仕事激減で精神崩壊寸前!? .アサ芸プラス.2015年6月23日〕。 小学生の頃から(寝屋川市立啓明小学校)サッカーを始め、中学校は寝屋川市立第五中学校に通い、高校時代は関西の強豪北陽高校(現:関西大学北陽高等学校)サッカー部に所属。利き足が左足であるため左のウィングバックをやっていた。3年生の時は副キャプテンも務め、また大阪府代表としてインターハイにも出場している。北陽高校の同級生には難波横山がいた。1999年(平成11年)にNSC東京校の5期生として入学。大阪府出身ながら東京NSCを選んだ理由は、高校サッカー部の監督が吉本興業にも顔の利く人物であったため、大学推薦を断ってお笑いの道を目指していることが判明するのを恐れたため。1999年4月、放送大学教養学部に進学。 2003年(平成15年)夏まで原偉大〔原は現在大阪で雑誌編集者をしており、ABCラジオ『よなよな…』にも出演している。〕と「線香花火」というコンビで活動していたが解散し、その後、同期で仲の良かった綾部祐二とピースを結成し、現在に至る。 2015年(平成27年)自身が書いた小説『火花』で新人小説家の登竜門である芥川賞を受賞した。お笑い芸人での受賞者としては史上初の快挙である〔又吉さん「火花」100万部突破へ お笑い芸人初の芥川賞 .日本経済新聞.2015年7月17日〕。会見では異例づくめで通常15分ほどで終了するところ、メディアからの希望で急きょ又吉のために2度目の会見が開かれ、トータルで2時間ほどの長丁場となった〔又吉受賞で報道関係者、3倍の350人 “異例”単独会見で2時間超え .oricon style.2015年7月17日〕。 同年、GQ Men of the Year 2015を受賞。 元ジューシーズの児玉智洋、パンサーの向井慧と共同生活をしている。 2016年、4月から日本テレビ系「NEWS ZERO」の月1回の新キャスターに就任〔ピース又吉、ニュースキャスターに「あらゆる問題に簡単に答えを決めず…」 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「又吉直樹」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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