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友ヶ島汽船(ともがしまきせん)は、 #かつて友ヶ島と加太港を結ぶ航路を運航していた和歌山県和歌山市の有限会社。2006年に廃業。 #上記有限会社の廃業後、2007年3月より同航路を引き継いで運航を行っている株式会社。 ともに本項にて説明する。 ==概要== 友ヶ島は戦後、南海電鉄グループにより観光開発が進められたため、同航路も南海グループの南汽観光が運航していた(当時は、和歌山市に近い加太港からと、大阪寄りの深日港からの2航路を運航していた)。 しかし、2000年頃には観光客数が最盛期の1/5まで減少したため、2000年6月に南海グループのリストラの一環として、和歌山市に対し友ヶ島観光事業からの撤退と同航路の廃止を申し出た。これに対し和歌山市や地元の観光業者および市民などから反対の声があがったものの、2002年3月末には航路を含めた観光事業が全廃となった。 このうち、加太港から友ヶ島間の航路については平井通船(かつて和歌山県串本町と対岸の紀伊大島間の航路を運営していた)が引継ぐこととなり、有限会社友ヶ島汽船を設立し、運航を開始した。 片道の運賃は南汽観光時代と同じ(880円)、往復運賃は1,760円から1,500円に値下げされたが、しばらくして値上げ(片道1,000円、往復2,000円)された。その後、2006年に地元の加太漁業協同組合が釣り人を対象に土休日運航のチャーター便事業を始めた(運賃は片道700円)ことも影響して乗客が減少し、原油価格の高騰もあって経営が苦しくなったため、2006年11月末をもって有限会社友ヶ島汽船は廃業した。 今回は、前回のように航路の引き継ぎを名乗り出た法人などはなかった。運航認可の関係から、友ヶ島汽船は12月17日まで運航延長し、その後、加太漁業協同組合が引き継ぐことが決定した。2007年3月から同漁協により運航されることとなり、新会社の友ヶ島汽船株式会社が設立され、有限会社友ヶ島汽船廃業前の社員や船舶などをほぼそのまま引き継いだが、運航本数は削減されている〔通常期の運航本数は引き継ぎ前の7本から4本へ減少している。なお、現在の運航本数は、1998年前後における通常期の南汽観光時代と同じ本数である。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「友ヶ島汽船」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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