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友永 和秀(ともなが かずひで、1952年(昭和27年)4月28日 - )は、日本のアニメーターである。 高校卒業後、大阪で半年間のサラリーマン生活を送った後に上京、1971年(昭和46年)、作画プロダクションタイガープロ、1975年(昭和50年)、OH!プロダクション等を経て、1980年(昭和55年)テレコム・アニメーションフィルムへ入社〔『別冊宝島 ルパン三世PERFECT BOOK TV版パート2ストーリー解析編』宝島社、2003年。友永和秀インタビュー。〕。現在はテレコム取締役である。日本アニメーター・演出協会(JAniCA)会員。 == 来歴 == 1972年(昭和47年)、テレビアニメ『デビルマン』動画でデビュー〔「ルパン三世アニメスタッフエッセイ 友永和秀とルパン三世」『ルパン三世 LUPIN the 40! ~The animation~』不知火プロ編著、双葉社、2007年、p.127。〕。白土武が代表を務めるタイガープロ時代は、『マジンガーZ』、『宇宙戦艦ヤマト』などに参加。OH!プロダクション時代には、小松原一男が作画監督を務める回の『UFOロボ グレンダイザー』『マグネロボ ガ・キーン』『超人戦隊バラタック』等、主に東映動画制作のロボットアニメの原画を担当する〔『小松原一男アニメーション画集』小松原一男著、なみきたかし編集、東急エージェンシー、2002年、p.153。〕。1979年(昭和54年)にOH!プロダクションからテレコムへ出向〔大塚康生『リトル・ニモの野望』徳間書店、2004年、p.80。〕し、1980年(昭和55年)に『姿三四郎』で作画監督デビューした〔但し、1977年(昭和52年)の『ジェッターマルス』第23話の作画監督を務めている〕〔赤星政尚、月村了衛、山本元樹「ロボット アニメ殿堂入りスタッフ紳士録」『不滅のスーパーロボット大全』二見書房、1998年、 p.132。〕。その後はテレコムの海外との合作作品および、日本国内向け作品、親会社であるトムス・エンタテインメント作品等に参加している。 特に注目度と評価の高い作品は以下の通り。 1974年(昭和49年)テレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』の戦艦大和の回想シーンと七色星団の決戦シーン〔〔氷川竜介「アニメ特殊技法の変遷」『図説テレビアニメ全書』御園まこと編著、原書房、1999年、pp.201-203。〕〔氷川竜介「アニメーション表現の歴史」『SFアニメが面白い』EYECOM Files編、アスキー、1997年、p.169。〕〔氷川竜介取材・構成「証言・巨大ロボットアニメの時代 金田伊功インタビュー」『動画王 Vol.1 決戦!巨大ロボットアニメ』キネマ旬報社、1997年、pp.188.〕、1979年(昭和54年)テレコム制作の劇場用アニメ『ルパン三世 カリオストロの城』のカーチェイスのシーン〔〔堀田純司、GAINAX『ガイナックス・インタビューズ』講談社、2005年、p.110。〕、同、劇場用アニメ『銀河鉄道999』のクライマックスでのアルカディア号の戦闘シーン〔〔〔ふゅーじょんぷろだくと編『世界と日本のアニメーションベスト150』ふゅーじょんぷろだくと、2003年、pp.10,172-173。〕などである。 1984年、近藤喜文と共同制作した『リトル・ニモ』の3分半のパイロット版はアメリカのアニメ業界で評判を呼び〔『リトル・ニモの野望』pp.129-130。〕、友永の代表作の一つとの声もある〔小黒祐一郎「アニメ様の七転八倒 第22回 日本アニメ史 空前の大プロジェクト」 WEBアニメスタイル 2005年11月21日。〕。 同業者の大塚康生によると、動きのセンスとメカに強いことなど、アクション技術を高く評価している〔大塚康生、森遊机『大塚康生インタビュー アニメーション縦横無尽』実業之日本社、2006年、p.38。〕。『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』等に共に参加した、同じく同業者である金田伊功は「友永はライバルであり、友人である。」と語っている〔。 1982年頃に制作が開始され、作画監督として参加したテレビアニメ『名探偵ホームズ』に登場するキャラクター、トッドは友永の容姿をモデルに宮崎駿がデザインした〔座談会テーマ1:「名探偵ホームズ」(其の2) テレコム・アニメーションフィルム公式サイト 内〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「友永和秀」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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