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友鶴事件[ともづるじけん]
友鶴事件(ともづるじけん)は、1934年(昭和9年)3月12日に行われた水雷戦隊の演習中に佐世保港外で起きた旧日本海軍の千鳥型水雷艇3番艦「友鶴」の転覆事故、及びその後の事故原因究明作業を通じて明らかになった艦艇の設計理念上の重大な不備のことである。翌年に発生した第四艦隊事件とともに日本海軍を震撼させ、その後の艦艇設計に大きな影響を及ぼした。 == 事件の概要 == 演習当日は折からの荒天で波浪が高かった。水雷艇には計算上は90度から110度程度の傾斜でも転覆しないような復原力を持たせる設計が施されていたにもかかわらず、「友鶴」は40度程度の傾斜で転覆、総員113名中死者行方不明100名を出すという大惨事となった。 この事故に衝撃を受けた海軍は徹底した原因究明を行ったところ、艦船の艤装と復原性に関しての問題点が浮上し、再検討が加えられることになった。 また同艦を設計した艦政本部の藤本喜久雄造船少将は、この事故の責任を取る形で謹慎処分となり、翌年47歳の若さで脳溢血により憤死した。 長崎県佐世保市の旧海軍墓地東公園にこの事故で殉職した士卒の慰霊碑がある。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「友鶴事件」の詳細全文を読む
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