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双ツ龍徳義 : ウィキペディア日本語版
双ツ龍徳義[ふたつりゅう とくよし]

双ッ龍 徳義(ふたつりゅう とくよし、本名:荒木 徳義(あらき とくよし)、1930年3月3日 - 2006年2月4日)はかつて時津風部屋に所属していた大相撲力士である。身長185cm、体重108kg。得意手は右四つ、吊り、上手投げ北海道室蘭市出身。最高位は東前頭筆頭。
==来歴==
父親は富士製鐵(現・新日本製鐵)に務める鉄鋼マンだった。自身も富士製鐵に務めていたが双葉山に憧れ、4日かけて当時時津風部屋が疎開していた福岡県太宰府まで訪ねて入門した。1947年6月場所初土俵1952年1月場所十両に昇進し2場所で通過、同年9月場所入幕を果たした。
以後主に幕内上位で活躍、八頭身で足が長く人懐こい風貌で人気が有り、深い懐を生かして吊るか上手投げを打つ速攻の取り口を得意としたが、軽量の上腰高で脇も甘いので攻められると弱かったので大成できなかった。また、淡泊な性格も出世を阻んだといえる。1960年9月場所10日目から1960年11月場所千秋楽までにかけて21連敗を記録しており、これは年6場所制定着以降の関取連敗記録1位として残っている。
1961年1月場所を最後に引退、年寄音羽山から粂川を襲名して1995年3月場所限りの停年まで時津風部屋付きとして後進の指導にあたったほか、審判委員も長く務めた。温厚な常識人としても知られ、大関北葉山は同郷でもあった双ツ龍を慕って入門した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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