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双葉 十三郎(ふたば じゅうざぶろう、1910年10月9日 - 2009年12月12日)は日本の映画評論家・翻訳家である。本名は小川一彦(おがわ かずひこ)。ペンネームはトム・ソーヤーに由来(双葉は「ソーヨー」、十三は「トミー」をもじったもの〔「編集手帳」『読売新聞』、2010年1月16日、13版、1面。〕)。 == 人物・来歴 == 東京府東京市出身。幼少時から映画に熱中し、映画館に入り浸る。 東京帝国大学経済学部卒業後、住友本社に勤務。在職中から映画評論の世界に足を踏み入れ、のちに退社し映画評論家として一本立ちした。映画に対する知識は群を抜いており、特に戦前の映画など現在の映画評論家がカバーできていない映画にも造詣が深かった。 また従来の映画評論家から評価されてこなかったB級映画やSF・ホラーなどの娯楽作品も、誠実に評論したことでも知られる。雑誌「スクリーン」に40年以上連載された「ぼくの採点表」は、毎月B級のみならずC級映画にまで評論を展開して☆20点、★5点を組み合わせてそれぞれの映画に採点をしていた。この採点はおよそ偏った視点ではなく非常に公平的、一般的な視点に立った著作といえる。 この数十年に及ぶ偉業は現在、瀬戸川猛資が企画・編集した「ぼくの採点表 西洋シネマ大系」全5冊で見ることができる。 江戸川乱歩と親交があり、レイモンド・チャンドラーなど探偵小説の翻訳や関連評論も多い。それのみならず、戦後の日本にアメリカのハードボイルド小説をいち早く紹介した、第一人者であった(小鷹信光『私のハードボイルド』参照。) またテレビ草創期時代の、連続ヒットドラマの第1号『日真名氏飛び出す』の原案者としても知られる。 なお淀川長治・清水俊二らと共に、長年にわたる宝塚歌劇団のファンでもあった〔清水俊二の回想記『映画字幕五十年』に、宝塚のスターや幹部たちとの写真がある。 早川書房、1985年。のちハヤカワ文庫で再刊。〕。 高齢になっても映画評論家として健筆を振っていたが、2009年12月12日に心不全のために逝去。。 尚、十三郎の死後、葬儀・告別式は近親者のみで済ませた後、年明けの2010年1月15日になってからその死去が公表された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「双葉十三郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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