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『ワーニャ伯父さん』()は、ロシアの作家・劇作家のアントン・チェーホフの戯曲である。『かもめ』、『三人姉妹』、『桜の園』とともにチェーホフの四大戯曲と呼ばれる。 == 概説 == 作者自身によって「田園生活戯曲」と銘打たれたこの作品は1897年秋に出版された『チェーホフ戯曲集』で発表され、1899年10月26日にモスクワ芸術座で初演された。年老いた大学教授の田舎の領地を舞台に、教授がこの領地を売りに出す提案をすることで引き起こされる騒動をチェーホフ独特の筆致で描いている。 この作品は1889年に書かれた『森の精』の改作であることが知られており、旧作との比較によって作品の成立に至る内情を窺い知ることができる。『森の精』においては人生をかけて経営に従事してきた領地を売りに出すことを提案されて激昂したワーニャが自殺を遂げる一方で、美しい娘であるソーニャは医師との恋を実らせていた。それが本作においては絶望したワーニャは残された人生を耐えて生きていかなければならず、それを不器量な娘に書き換えられたソーニャが自身の失恋の痛手をこらえつつ優しく慰めるという筋書きに改められている。ワーニャの自殺を除いては幸福な結末に至る旧作から、絶望に耐えて生きていかなければならない人たちの姿を描き出す劇へと変貌を遂げたところに、チェーホフの劇作家としての進境を窺うことができる〔チェーホフは『森の精』について「この劇を私は憎悪している。忘れようと努力している」と述べている。〕。 また前作の『かもめ』ではコスチャが自殺を遂げて幕が降りたことも考え合わせれば、「絶望から忍耐へ」、「忍耐から希望へ」というチェーホフ作品に通底するモティーフがこの結末に端的に表れていると見ることができる。特にソーニャがワーニャを慰めようとして語りかける幕切れのセリフはこの戯曲の核ともいえる部分であり、チェーホフ劇の中でも最も美しいセリフとして親しまれている〔あまり知られていないが、チェーホフと親交のあった作曲家、セルゲイ・ラフマニノフはこのセリフを元に歌曲(作品26の3)を作曲している。〕。チェーホフを師として慕った作家、劇作家のマクシム・ゴーリキーはこの劇を見て「女のように泣いた」と告白している。 なお、『かもめ』において作家、トリゴーリンに作者自身の作家生活の内情が投影されていたのと同じように、本作の医師、アーストロフの人物造型にもチェーホフ自身の人格が反映されていると言われている。このアーストロフは開発による森林の減少を憂え行く末を案じる人物として描かれており、このことはチェーホフが19世紀末の時点で生態系の破壊という問題に深い関心を寄せていた証左として特に注目に値する。日本で1990年頃、「森のおじさん」の名で上演された舞台作品は永野裕紀乃が翻案脚本演出した本作品である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ワーニャ伯父さん」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Uncle Vanya 」があります。 スポンサード リンク
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