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叡南祖賢 : ウィキペディア日本語版
叡南祖賢[えなみ そけん]

叡南 祖賢(えなみ そけん、明治36年(1903年5月15日 - 昭和46年(1971年1月4日)は、天台宗僧侶。千日回峰行大行満大阿闍梨、大僧正比叡山延暦寺執行無動寺谷明王堂輪番千日回峰行者。
第二次世界大戦直後に比叡山延暦寺の北嶺千日回峰行を満行する。延暦寺無動寺谷明王堂などにおいて数多くの弟子を育てる。また延暦寺執行として制度の改正、諸堂の営繕など一山の興隆に努めた。
当時、比叡山の門前町である坂本では、「和尚さんといえば叡南祖賢大和尚のこと」であった。
== 経歴 ==

* 明治36年(1903年)、愛知県丹羽郡豊富村(現、一宮市千秋町)の伊藤家の二男として生まれる
* 明治43年(1910年)、7歳で愛知県西春日井郡賢林寺において密蔵院中村勝契大僧正について得度。同年、愛知県龍光寺住職稲田祖珪の養子となり、名を賢一から祖賢と改名
* 大正7年(1918年)、地元愛知の中学校から、比叡山中学校に転校
* 大正11年(1922年)、天台宗西部大学に入学
* 大正12年(1923年)、比叡山無動寺谷玉照院にて四度加行履修(阿闍梨は叡南覚誠師)
* 大正13年(1924年)、登壇受戒(伝戒師は吉田源応大僧正)
* 大正15年(1926年)、西部大学専修院別科修了、本科入学
* 昭和2年(1927年)、賢林寺徒弟より叡南覚誠徒弟に転師
* 昭和5年(1930年)、西部大学専修院本科卒業。天台宗史を専門とした卒論は2,000枚の大論文で、教学をになう学僧として将来を嘱望された。百日回峰行 (叡山)満行
* 昭和8年(1933年)、叡山学院講師拝命
* 昭和15年(1940年)、私淑していた三千日回峰行者の奥野順玄大阿闍梨が遷化。そのあとを継ぎ無動寺谷明王堂輪番となる。延暦寺幹事拝命。十二年籠山行に入る
* 昭和16年(1941年)、回峰行二百日満行
* 昭和19年(1944年)、明王堂参籠(断食断水)満行
* 昭和21年(1946年)9月19日、千日回峰行大行満
* 昭和21年(1946年)11月11日、京都御所土足参内玉体加持奉修
* 昭和24年(1949年)、安楽律院住職。好相行を修し満行。十万枚大護摩奉修。安楽律院が火災で本堂などを焼失。その後、坂本の松禅院跡に律院を創建
* 昭和26年(1951年)、叡南覚誠師の養子となり、稲田祖賢から叡南祖賢に
* 昭和27年(1952年)、天台修験道管領に就任
* 昭和34年(1959年)、師僧・叡南覚誠の延暦寺執行就任で副執行に
* 昭和35年(1960年)、法灯護持会結成の発起人に
* 昭和37年(1962年)、大僧正補任
* 昭和38年(1963年)、比叡山執行。秘書は森川宏映探題
* 昭和39年(1964年)、戸律説法勤仕
* 昭和41年(1966年)、奧比叡自動車道開通。横川恵心院焼失。西塔に居士林開設
* 昭和42年(1967年)、擬講に補任
* 昭和44年(1969年)、比叡山執行三選。延暦寺長臈拝命
* 昭和46年(1971年)、慈門庵にて遷化(67歳)
* 昭和63年(1988年)、坂本・律院の本堂横に銅像が建てられる

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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