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古今亭 志ん上(ここんてい しんじょう)は、落語家の名跡。現在は空き名跡となっている。過去2人、この名を名乗った落語家が存在する。 初代古今亭 志ん上 本名は丸吉竹次郎。本項にて詳細。 2代目古今亭 志ん上 名は武藤幸男 群馬県安中市出身。3代目古今亭志ん朝門下であったが、一度廃業している。後に9代目桂文楽門下で桂ひな太郎として高座に復帰。 ---- 古今亭 志ん上(ここんてい しんじょう、1881年(明治14年)3月11日 - 1938年(昭和13年)4月23日)は、落語家。本名は丸吉 竹次郎。 生国、生い立ち等は不明。明治30年代末?初代三遊亭三福の門下で福雀、1908年ないし1909年頃2代目三遊亭圓右の門下で三遊亭右左喜。二つ目のこの頃から橘家小圓蔵(後の5代目三遊亭圓生)、三遊亭遊福(後の立川ぜん馬)と共に「二つ目の三羽烏」と呼ばれ、当時神田の立花で10日間トリをとったこともあるほど人気者になった。 大正の初めに圓中と改名、一時初代三遊亭圓左について旅廻りをするようになりいつの間にか三遊亭小圓左を名乗るが、右左喜に戻り1915年10月に初代三遊亭圓歌の門下で初代三遊亭歌笑となる。後に6代目金原亭馬生(後の4代目古今亭志ん生)の門下に移って3代目金原亭馬好から大正の末に古今亭志ん上となった。技倆はあったが酒癖が悪く大成せず、結局戻り前座で終わった。 古今亭 志ん上(ここんてい しんじょう、1881年(明治14年)3月11日 - 1938年(昭和13年)4月23日)は、落語家。本名は丸吉 竹次郎。 生国、生い立ち等は不明。明治30年代末?初代三遊亭三福の門下で福雀、1908年ないし1909年頃2代目三遊亭圓右の門下で三遊亭右左喜。二つ目のこの頃から橘家小圓蔵(後の5代目三遊亭圓生)、三遊亭遊福(後の立川ぜん馬)と共に「二つ目の三羽烏」と呼ばれ、当時神田の立花で10日間トリをとったこともあるほど人気者になった。 大正の初めに圓中と改名、一時初代三遊亭圓左について旅廻りをするようになりいつの間にか三遊亭小圓左を名乗るが、右左喜に戻り1915年10月に初代三遊亭圓歌の門下で初代三遊亭歌笑となる。後に6代目金原亭馬生(後の4代目古今亭志ん生)の門下に移って3代目金原亭馬好から大正の末に古今亭志ん上となった。技倆はあったが酒癖が悪く大成せず、結局戻り前座で終わった。 == 出典 == *諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「古今亭志ん上」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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