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古代イスラエル(こだいイスラエル)は伝説的な太祖アブラハムの時代からユダヤ戦争終結までのイスラエル古代史を概説する。古代イスラエルの歴史に関する資料は旧約聖書による部分が多いが、研究や発掘などによって史実としての裏づけが取れている部分もある。 == 伝説から史実へ == === 考古学的に確認できる事柄 === イスラエルの古代史は、文書資料としての旧約聖書が圧倒的な存在感をもっていたために、長らくこれに倣うか、神話的な部分を合理的に解釈しなおしたものを史実としてきた。しかしながら、同時代の文書や考古学的資料によって裏づけされた事柄はさほど多くない。 紀元前1207年の出来事を記したエジプトのには: *Z1s:r-i-A-r:Z1-T14-A1 *B1:Z2s *𓏤:𓂋-𓇋-𓄿-𓂋:𓏤-𓌙-𓀀 *𓁐:𓏥 - - イスラエル)についての言及が認められ、これがイスラエルという部族集団の実在を確認できる最古の文献とされている〔山我哲雄著 『聖書時代史 旧約篇』 岩波書店〈岩波現代文庫〉 2003年、ISBN 4-00-600098-7、p.42〕〔P.グルロ著(Z.イェール・河井田研朗共訳) 『聖書入門 その歴史・文学・思想』 中央出版社、1982年、ISBN 4-8056-4714-0、pp.52-53でその記述の日本語訳が読める〕。 エジプトの文書では、これより遡った前14世紀頃にも「アピル」と呼ばれる集団がパレスチナ(カナン)で略奪行動を行っていたことが確認できているが、このアピル(シリアやメソポタミアの文書では「ハピル」ないしは「ハビル」とも呼ばれた)は民族名を指すものではなく、奴隷や傭兵にもなった非土着系の無法者やならず者といった社会階層を指す言葉である。多くの学者がこのアピルとその後のヘブライ人(エジプト語でイブリー)のカナン進出に何らかの関係があったと考えているが〔山我哲雄著 『聖書時代史 旧約篇』 岩波書店〈岩波現代文庫〉 2003年、ISBN 4-00-600098-7、p.28, pp.40-41〕〔加藤隆著 『旧約聖書の誕生』 筑摩書房、2008年、ISBN 978-4-480-84717-1、pp.51-52〕定かなことは分かっていない。 話を紀元前1200年前後に戻せば、これは「海の民」が南西の海岸平野からシリアやカナン地方に侵入してきた頃であり、それを代表するのが旧約聖書にイスラエル人のライバルとして登場するペリシテ人である。イスラエル人はこれと同時期に山岳地域からカナン地方に進出してきてペリシテ人と衝突を繰り返した〔山我哲雄著 『聖書時代史 旧約篇』 岩波書店〈岩波現代文庫〉 2003年、ISBN 4-00-600098-7、pp.44-46〕。最近の考古学調査では、ガリラヤ山地、中央山岳地帯、南部ユダヤのネゲヴ北部などに前1200年頃から居住地域が急増し、西部に勢力を広げていったことが確認されている。この動きの中にイスラエル人たちの部族が含まれていたことは間違いが無い〔山我哲雄著 『聖書時代史 旧約篇』 岩波書店〈岩波現代文庫〉 2003年、ISBN 4-00-600098-7、pp.49-52〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「古代イスラエル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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