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古屋英夫 : ウィキペディア日本語版
古屋英夫[ふるや ひでお]

古屋 英夫(ふるや ひでお、1955年8月1日 - )は、千葉県富津市出身の元プロ野球選手内野手)。現役時代は、日本ハムファイターズの主力選手として活躍。小柄ながらがっしりした体格で、長打力を持ち合わせていたことから、ボンバーという愛称で知られた〔週刊ベースボール、2005年2月1日号、P.76〕。
1992年阪神タイガースで現役を引退してからは、日本ハムや東北楽天ゴールデンイーグルスのコーチ、オリックス・バファローズのスカウト・コーチ・二軍監督を歴任。2014年からは、阪神の二軍チーフ兼打撃コーチや二軍監督を歴任。2016年からは、阪神の二軍チーフ兼守備走塁コーチを務める〔 阪神、金本新監督率いる来季コーチ陣発表 サンケイスポーツ 2015年10月27日〕。
== 来歴 ==

=== アマチュア時代 ===
富津市漁師の家庭に生まれる。小学校3年生の時に肋骨カリエスが見つかって摘出手術を行ない、回復のため父親の勧めで野球を始めた〔海老沢泰久『ヴェテラン』文春文庫、1996年、P.187〕。優れた野球の才能を見せて6年生の頃から中学の練習にも参加し、天羽中学に進むと投手で四番打者を務めている。
複数の高校野球部から誘いを受け、木更津中央高校に進学。高校でも1年生の秋からエースで四番となる。夏の甲子園県予選では2回戦で成東高鈴木孝政投手と投げ合い、4-5で惜敗。3年生の6月には来日したハワイ高校選抜との交流試合のため編成された千葉県選抜チームで四番を務め、このチームでは掛布雅之が三番となっている〔海老沢、1996年、P.189〕。同年夏の県予選準々決勝で、掛布が四番打者であった習志野高と対戦、延長11回に1-2xでサヨナラ勝ち。しかし決勝ではエース土屋正勝を擁する銚子商と延長12回の熱戦の末、7-9で敗れ、甲子園出場を逸する。
高校卒業後は亜細亜大学に進学。東都大学リーグでは、駒大の全盛期であり、優勝には届かなかった。1年生の春季からリーグ戦に登板、2年生の秋季リーグまでに5試合の登板を経験したが、3年春に矢野祐弘監督の勧めで三塁手に転向。直後の春季リーグで四番を務め、打率.442で首位打者を獲得している。リーグ通算56試合出場、181打数60安打、打率.331、6本塁打、31打点。ベストナイン3回(三塁手2回、遊撃手1回)受賞。には第6回日米大学野球選手権大会日本代表に選出され、ここでも四番を任された。大学同期に矢野隆司(熊谷組)、高橋周司(日本鋼管福山)両投手がいる。
ヤクルトをはじめ多くの球団から1977年のドラフト会議での1位指名を約束されていた〔海老沢、1996年、P.190〕が、実際には日本ハムから2位指名を受ける形となった。約束を反故にされたことに対して野球部監督の矢野が激しく怒った〔海老沢、1996年、P.192〕ものの、古屋自身がプロ入りを望んでいたこともあって入団が決まった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「古屋英夫」の詳細全文を読む



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