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古川元久 : ウィキペディア日本語版
古川元久[ふるかわ もとひさ]

古川 元久(ふるかわ もとひさ、1965年12月6日 - ) は、日本政治家民進党所属の衆議院議員(7期)、民進党税制調査会長
野田内閣野田第1次改造内閣野田第2次改造内閣内閣府特命担当大臣経済財政政策科学技術政策)、野田第2次改造内閣内閣府特命担当大臣宇宙政策)を務めたほか、内閣官房副長官菅内閣菅第1次改造内閣)、内閣府副大臣鳩山由紀夫内閣)、衆議院内閣委員長、衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長等を歴任した。
== 来歴 ==
愛知県名古屋市生まれ。愛知県立旭丘高等学校卒業後、東京大学に入学。東大在学中の1986年、20歳で司法試験に合格した。1988年東京大学法学部を卒業し、大蔵省(現財務省)に入省。1993年アメリカ合衆国コロンビア大学大学院に留学し、国際関係論を専攻した。翌1994年、大蔵省を退官〔公式プロフィール 〕。
1996年旧民主党結党に参加。第41回衆議院議員総選挙に旧民主党公認で愛知2区から出馬し、選挙区では新進党公認の青木宏之に敗れたが、重複立候補していた比例東海ブロックで復活し、初当選した。1999年民主党娯楽産業健全育成研究会の設立に参加。2000年第42回衆議院議員総選挙では、愛知2区で前回敗れた青木宏之(保守党公認)を下し、再選。この選挙以降、愛知2区で6期連続当選。
2005年世界経済フォーラム(ダボス会議)のYoung Global Leadersの1人に選出された〔globis 2011年6月14日〕。2007年には古川、近藤正晃ジェームス、堂前宣夫の3人でNPO法人「TABLE FOR TWO International」を設立した〔TABLE FOR TWO公式サイト 〕。
2009年鳩山由紀夫内閣内閣府副大臣に任命され、菅直人国家戦略担当大臣の下で初代国家戦略室長も務める。翌2010年6月、菅内閣内閣官房副長官に就任し、菅第1次改造内閣まで務める。2011年2月、党役員人事により民主党代表代行に就いた仙谷由人の下、代表代行補佐に起用される。同年9月、野田内閣内閣府特命担当大臣経済財政政策科学技術政策)に任命され、初入閣した。あわせて、「税財政の骨格や経済運営の基本方針等について企画立案及び行政各部の所管する事務の調整(国家戦略担当)」「社会保障及び税に関する改革を一体的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整(社会保障・税一体改革担当)」「宇宙開発利用に関する施策を総合的かつ計画的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整(宇宙開発担当)」を担当する国務大臣も兼務する。2012年7月、内閣府への宇宙戦略室設置に伴い新設された内閣府特命担当大臣宇宙政策)の補職辞令を受けた。
2012年10月、野田第3次改造内閣発足に伴い退任し、衆議院内閣委員長に就任。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では民主党公認、国民新党推薦で出馬。与党に猛烈な逆風が吹き荒れる中、愛知2区で自由民主党新人の東郷哲也らを下し、6選。なお古川は第42回衆議院議員総選挙において愛知2区で当選して以来、4回の総選挙で対立候補に誰一人比例復活を許さなかったが、この総選挙では自民党の東郷が比例復活により当選した(古川自身も、初出馬の選挙では比例復活で当選している)。2014年12月の第47回衆議院議員総選挙では民主党公認で愛知2区から出馬し、自民党の東郷に比例復活すら許さない票差をつけ、7選。
2015年衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長に就任した〔日本経済新聞、2015年1月26日〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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