|
古川 登志夫(ふるかわ としお、1946年7月16日〔 『声優名鑑』、610頁、成美堂出版、1999年、ISBN 978-4415008783〕 - )は、日本の声優、俳優、ナレーター、大阪芸術大学教授〔声優コース | 放送学科 | 学科案内 | 大阪芸術大学 2015年11月5日閲覧〕、。青二プロダクション所属。 == 来歴 == 栃木県栃木市(旧下都賀郡大平町)出身。10男5女の15人兄弟の末っ子として生まれた。長兄の善一郎は太平洋戦争時に重巡洋艦鳥海の機関砲手を務めていたが、艦が爆撃を受けてフィリピン海で没し、22歳で戦死している。古川が生まれた時、両親から「この子は善一郎の生まれ変わりだ」と言っていたことを、兄の忠治から教えられた〔TOSHIO'sHOME - DIARY 2010年9月16日、2010-09-20 閲覧。〕。古川が12歳で芸能界を目指すことになったきっかけを作ってくれたのも、この兄の忠治〔TOSHIO'sHOME - DIARY 2010年9月15日、2010-09-20 閲覧。〕で、「何かひょうきんでおもしろいからそういうことをやらせよう」と東京から児童劇団のパンフレットを送ってきた。そのパンフレットに掲載されていた子役が、当時普及し始めたばかりのテレビでよく観ていた『月光仮面』の出演者が多数掲載されていたため興味を持ち〔エフエム栃木 レディオベリー『People tree cafe』出演時に発言(バックナンバーVol.56 - 59 、視聴可能)〕、この児童劇団に入団することになった。当初は栃木から東京へ通っていたが、それでは大変だということで一年ほど経って親元を離れ東京の兄の元で暮らすようになった。とにかく坊主頭が嫌で、東京に出れば髪を伸ばせるということも動機になったとこと〔海外ドラマ専門チャンネル スーパー!ドラマTV : 声優名鑑 〕。 大学は、演劇が学べる学科をということで日本大学芸術学部演劇学科に進学。在学中は、新劇史は秋庭太郎の授業を選考し、殺陣同志会に在籍した〔。このため『ジャンボーグA』『ファイヤーマン』では怪獣の中に入っていたという記述もあるが、本人は自身のホームページで、声での出演履歴であり、スーツアクター経験を否定している。大学卒業後に舞台俳優になろうと劇団「櫂(KAI)」に参加〔声グラ - 古川登志夫の声優道 〕。その劇団の座長をやっていた中田浩二に誘われ、スタジオを見学した際にディレクターやオーディションを紹介された。このことを古川は、「その劇団に入っていなかったら、たぶん、声優にはなっていなかった」と回想し、感謝していると述べている〔〔。 現代制作舎というプロダクションにも所属中の1975年前後には、『新宿警察』など実写のテレビドラマに出演。声優として最初に出会った作品は25歳の時の東北新社提供の『FBIアメリカ連邦警察』、初レギュラーを『大草原の小さな家』と回想している〔。大学卒業後は洋画のアテレコをしていたが、1974年にアニメ『ゼロテスター』の隊員役で声をあてている。古川自身はアニメ声優としてのデビューを1976年の『マグネロボ ガ・キーン』の北条猛役だと考えていた〔「月刊アウト」1982年3月号 p.89〕。それまで、兵士Aなどの端役を演じたことがあったが、絶対に無理だろうと受けたオーディションで主役に抜擢され、以降アニメの仕事が一気に増えた。そのため、劇団の稽古に立てず舞台にも出られないため、青二プロに移籍した〔。参考にするため見学にいったスタジオで収録をしていた古谷徹の演技に衝撃を受けたという〔。二枚目から三枚目まで、幅広い役をこなす。声優業以外にも、1980年には「テーマ主義に立脚したオリジナル作品の上演」を標榜して劇団青杜(げきだんせいとう)を創立〔し、代表として多くの公演で作・演出を担当した(創作した戯曲は著作参照) 。2003年に解散後も劇作活動を続けている。 1978年に古谷徹ら声優仲間とともにバンド「スラップスティック」を結成し、数々の歌番組で歌を披露し、1986年まで活動した。 もともとは二枚目役を演じていたが、『うる星やつら』の諸星あたるで初の三枚目を担当〔【インタビュー】平野文&古川登志夫が語る『うる星やつら』の世界 - デジタルリマスターHD版がキッズステーションで宇宙初放送! (1) 『うる星やつら』がデジタルリマスターHD版に! | ホビー | マイナビニュース 〕。以降、二枚目半・三枚目が増えている。本人によると、役者・声優として大きな転機となったのは、初主演となった『マグネロボ ガ・キーン』の北条猛、初の三枚目役だった諸星あたる、悪役から改心して長期レギュラーとなった『ドラゴンボール』のピッコロ(マジュニア)、海外ドラマの『白バイ野郎ジョン&パンチ』のパンチだという〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「古川登志夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|