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古川緑波 : ウィキペディア日本語版
古川ロッパ[ふるかわ ろっぱ]

古川 ロッパ(ふるかわ ろっぱ 、古川 緑波とも、1903年明治36年)8月13日矢野p.30。〕 - 1961年昭和36年) 1月16日)は、1930年代の日本の代表的コメディアン編集者エッセイストとしても活動した。
本名は古川 郁郎(ふるかわ いくろう)〔。
== 生涯 ==

=== 生い立ち ===
古川ロッパは元東京帝国大学総長加藤弘之男爵の長男にあたる加藤照麿男爵の六男として東京市麹町区に生まれた〔。生後間もなく嫡男以外は養子に出すという家訓により、義理の叔父(父の妹の婿)で満鉄役員の古川武太郎(元陸軍中将の古川宣誉の長男)の養子となる〔矢野p.31。〕。幼少期より文才に優れ、のちに芸名として用いた「緑波」の号は尋常小学校三年生の頃に自らつけた筆名で、尊敬する文学者巌谷小波に因む。始め読み方は「リョクハ」だった〔滝大作『古川ロッパ昭和日記 戦前編解説』p・814。〕。芸能界入り後は舞台活動では「ロッパ」、文筆活動では「緑波」と使い分けた〔『日記に読む昭和日本 4 昭和前期』p・173。〕。)
1911年、福岡県門司に転居し、1916年旧制小倉中学校に入学。1917年東京に戻り旧制早稲田中学校に転校。在学中1918年に映画雑誌『映画世界』を発行、映画評論を執筆して早熟ぶりを発揮する。同時にキネマ旬報などの映画雑誌に緑波の名で投稿を始め、1921年早稲田第一高等学院に進学、そこでキネマ旬報編集同人となる〔矢野p.46。〕。さらに1922年には小笠原プロ・小笠原明峰監督『愛の導き』で映画初出演。その実績を買われて早稲田大学文学部英文科在学中に菊池寛に招かれ、文藝春秋社に雑誌『映画時代』の編集者として入社した〔矢野pp.47-48。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Roppa Furukawa 」があります。



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