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古曵 保正(こびき やすまさ、1906年2月21日 - 2003年2月6日)は、鳥取県旧法勝寺村(現南部町)出身の武道家、教育者。講道館創始者嘉納治五郎に直接指導を受けた直弟子。柔道九段(赤帯)。勲四等瑞宝章。 == 経歴 == 小学校高等科まで剣道に励み、米子中学校(現米子東高校)でも剣道部に入部するが、上級生に気の合わない者がいて退部、阿部信文の勧誘もあり柔道部へ入部する。その後は学業成績が下がるほど熱中し、親、兄弟が柔道をやめるよう言ったが親の目を盗んで稽古に励んだ。 1924年、旧制松江高校主催の山陰中学校柔道大会の選手に選ばれ出場、旧鳥取一中(現鳥取西高校)相手に2人勝ち抜き、選手としての地位は確立された。さらに同年、京都武徳会主催全国中等学校柔道大会で準決勝進出を果たすと、秋には県中学校大会で優勝を遂げた。1925年には初段となる。この年、旧制鳥取高農主催近県中学校柔道大会で主将として優勝、さらに県下中学校大会でも優勝を遂げ、米子中学校柔道部黄金時代を築いた。 先に進学していた阿部の誘いを受け1927年に旧東京高等師範学校(現筑波大学)に進学。当時校長であった嘉納治五郎の指導を受けた。 卒業後は軍隊生活を経て旧静岡中学校(現静岡高校)に10年余り勤務した後、埼玉県庁に勤務。戦後、1949年に43歳の若さで児玉高校校長となると、本庄高校、久喜高校、川口高校と4校で校長を務めた。 埼玉県の柔道振興に果たした功績は極めて大きく、各委員を含め県内柔道関係者に影響を与え、知らない者がいなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「古曵保正」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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