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古橋義真[ふるはし よしざね]
古橋 義真(ふるはし よしざね、嘉永3年11月28日1850年12月31日) - 明治42年(1909年11月13日)は、日本の農業功労者、愛知県北設楽郡稲橋村の村長である。
==概要==
家は代々、酒造業を営んだ。父の暉児は、25歳で家をついで名主になり、明治維新に際しては三河県に出仕した。のち辞して子の義真とともに産業教化に尽くした。義真は父のあとをついで名主になり、明治3年(1870年)、近郷の8箇村の取締となり、のち東加茂郡4箇村の取締を兼ねた。
明治7年(1874年)、第13大区副区長となり、明治11年(1878年)、北設楽郡長、東加茂郡長をつとめ、地元産業の開発、社会教化につとめた。明治22年(1889年)には稲橋村の村長となった。
製茶ではみずからチャの種子を購入し、農家に配付し、植林ではみずからの田を村に供託してその「作徳」を食料とした。また、百年植樹法なるものをつくり、各戸ごとに毎年100株の樹を植えさせ、供託田の作徳を彼らに供与し、100箇年伐採させないようにした。
村民が植林が有利であることを知って義真からの夫食を辞退すると、義真はこれを私用することなく村役場を建てるのに用い、村役場を村に貸与した。ほかに、養蚕、産馬、貯金の奨励など、独自の案を考出し、理解の乏しい反対者の説得につとめながら、一定の成果をおさめた。産馬組合、種苗所、農事講習所、三河農会など、いずれも失敗ではなかった。のちの帝国農会その他、全国の系統農会はこの父子の始めた農談会が母体になっている。
神道の崇敬者でもあり、神道葬祭を奨励し、伊勢神宮参詣を奨め、神職の養成にもつとめた。
明治42年(1909年)11月13日藍綬褒章を授けられ、同日、死去した。14日、村葬が営まれた。
古橋家のコレクションは古橋懐古館 で見ることが出来る。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「古橋義真」の詳細全文を読む



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