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古沢太穂 : ウィキペディア日本語版
古沢太穂[ふるさわ たいほ]
古沢 太穂(ふるさわ たいほ、1913年大正2年)8月1日 - 2000年平成12年)3月2日)は俳人。本名は古沢 太保(ふるさわ たもつ)。
==略歴==
富山県上新川郡大久保町(現・富山市)生まれ。生家は料理屋兼芸妓置屋。幼くして父を失い、一家は東京から横浜へ。1938年東京外語専修科ロシア語学科修了。その後結核のため療養生活に入る。療養所で俳句を勧められ、1940年、「馬酔木」を購読。のち加藤楸邨の「寒雷」創刊とともに参加。
戦後1947年赤城さかえらと同人誌「沙羅」を創刊。新俳句人連盟に参加し、同連盟の中央委員長(後会長と改称)を長く務める。その後、顧問。1951年、職場の俳句サークルを母体として同人誌「道標」を創刊。1972年、「沙羅」と「道標」を合併して「道標」を太穂主宰誌とする。そのほか、1956年に秋元不死男小林康治飯島草炎らとともに横浜俳話会を発足した。
1980年、句集『捲かるる鴎』で第12回多喜二・百合子賞を受賞、1983年、第32回横浜文化賞受賞〔「第62回神奈川文化賞・スポーツ賞贈呈式 」『神奈川県』〕。
その作風は変革の抒情ともいうべきものであるが、太穂自身は「自然流」としている。またスローガン的な俳句とは異なる、社会の矛盾を突きつつも人間味のある句を作った〔武田伸一 「古沢太穂」 金子兜太編 『現代の俳人101』 新書館、2004年、116-117頁。〕。根岸森林公園(横浜市中区)には、1983年作の「少年どち若葉染みに来くつわ展」の句碑(古澤太穂句碑建立委員会、1986年)がある〔安藤今朝吉「古澤太穂句碑」『市民グラフヨコハマ』第116号、2001年6月、14頁。〕。
門下に、望月たけし〔『俳句人叢書26 望月たけし 氷平線』(新俳句人連盟)著者略歴より〕、松田ひろむ石塚真樹板垣好樹野宮猛夫らがいる〔「近現代俳人系統図」[『新版・俳句歳時記(第三版)』(雄山閣)の別刷り]ほかによる〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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