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古河公方[こがくぼう] 古河公方(こがくぼう)は、室町時代後期から戦国時代にかけて、下総国古河(茨城県古河市)を本拠とした関東足利氏。享徳4年(1455年)、第5代鎌倉公方・足利成氏が鎌倉から古河に本拠を移し、初代古河公方となった。(享徳の乱) その後も政氏・高基・晴氏・義氏へと約130年間引き継がれる。御所は主に古河城。古河公方を鎌倉公方の嫡流とみなし、両方をあわせて関東公方と呼ぶこともある〔阿部能久(2006)、3-12頁(序章)。〕。 == 日本史上の位置付け == 古河公方が成立した享徳の乱は、応仁・文明の乱に匹敵し、関東における戦国時代の幕を開ける事件であった〔峰岸純夫(1989)、233-254頁(東国における十五世紀内乱の意義)。〕。旧来の政治体制が大きく動揺し、新興勢力の後北条氏が台頭する遠因ともなる。 一方、関東における戦国時代は、史料が豊富で研究が先行している後北条氏の発展過程を軸として解説されることが多く、後北条氏以前の実態には関心が比較的低かった。しかし、近年の研究により、関東諸豪族から鎌倉公方の嫡流とみなされた古河公方を頂点とする、ある一定の権力構造が存在したことが明らかになっている〔例えば、阿部能久(2006)、3-12頁(序章)。市村高男(1994)、3-26頁(序章)。佐藤博信(1989a)、15-36頁」(序論)など。〕。 後北条氏の関東支配の過程は、古河公方体制に接触し、その内部に入り込み、やがて体制全体を換骨奪胎した後に、自らの関東支配体制の一部として包摂する過程でもあった。 従って、関東における戦国時代は、古河公方成立で始まり、豊臣秀吉による後北条氏滅亡で終結したとも言える。
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