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旧古河庭園(きゅうふるかわていえん)は、東京都北区にある都立庭園である。1917年(大正6年)に古河虎之助男爵の邸宅として現在の形に整えられた。現在は国有財産であり、東京都が借り受けて一般公開している。国の名勝に指定されている。 == 概要 == 明治期の当地は陸奥宗光の邸宅であったが、宗光の次男・潤吉が古河財閥創業者である古河市兵衛の養子となったため、古河家に所有が移った。 その後、1917年(大正6年)に古河財閥3代目当主の虎之助(市兵衛の実子)によって西洋館と庭園が造られ現在の形となった。洋館と洋風庭園は、戦前に亘り多くの洋風建築を手掛けたジョサイア・コンドルにより設計された。また、日本庭園は近代日本庭園の先駆者として数多くの庭園を手掛けた小川治兵衛(植治)により作庭された。 1926年(大正15年)に虎之助夫妻が牛込市谷船河原町に転居した後は、古河家の迎賓館として使用された。第二次世界大戦中は陸軍に接収され、南京国民政府成立前には、汪兆銘が匿われていた事もあったという。終戦後は連合軍に接収され、イギリス大使館付駐日武官の宿舎などに利用された。 財産税の物納で国有財産になった後は東京都に無償で貸し出され、1956年(昭和31年)4月30日に都立公園として開園した。その後も洋館は半ば放置された状態で荒廃が進んだが、1982年(昭和57年)から1989年(平成元年)まで7年をかけた修復工事により現在の状態まで復元された。2006年(平成18年)には、大正時代初期の形式をよく留める庭園が評価され、国の名勝に指定された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「旧古河庭園」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kyu-Furukawa Gardens 」があります。 スポンサード リンク
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