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古河御所 : ウィキペディア日本語版
古河城[こがじょう]

古河城(こがじょう)は、現在の茨城県古河市下総国)の渡良瀬川東岸にあった日本の城
室町時代には、古河御陣とも呼ばれ、北朝足利氏の拠点の一つであった。古河公方の本拠となった時期については古河御所(こがごしょ)とも呼ばれる。なお、古河鴻巣の古河公方館も御所と呼ばれるため、混同しないように注意する必要がある。
== 概要 ==
古河城の起源は、平安時代末期あるいは鎌倉時代初期に、下河辺行平が古河の立崎(竜崎)に築いた城館とされている。室町時代には、古河公方足利成氏が本拠とし、以後、戦国時代の関東における中心の一つとなった。江戸時代には、多くの譜代大名が入れ替わりで城主を務め、近代城郭として整備された。古河藩庁が置かれ、行政機能を担うとともに、将軍日光社参時の宿として、あるいは江戸城の北方の守りとしても機能した。明治時代初期の廃城令により廃城となり、明治末に開始された渡良瀬川の改修工事により、残された城跡も大半が消滅した。渡良瀬川の堤防上、三国橋新三国橋の中間付近には「古河城本丸跡」と書かれた標柱と古河史楽会作成の説明板が設置されている。(2015年4月現在)。
古河城は渡良瀬川の河畔にあり、城の位置付けは人と川との関わりに影響されてきた。
渡良瀬川は、上流では主に栃木県群馬県の県境近辺を流れ、下流では太日川(今の江戸川)と名前を変え、千葉県埼玉県の県境近辺を利根川と並行して、東京湾に流れ出ていた。従って、関東を東西に分かつ境界線であると同時に、河川交通により北関東および東京(江戸)・房総を結ぶ物流と交通の幹線であった。このような地理的条件により、中世および近世には重要拠点とされたが、近代に治水が重視されるようになると、大規模な河川改修事業により、下流の関宿城と同様に城跡が徹底的に破壊された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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