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古浄瑠璃は、初代竹本義太夫が語った義太夫節以前の浄瑠璃を言う〔吉川英治「日本音楽の歴史」創元社。昭和40年〕。また、慶長から貞享年間までは古浄瑠璃の時代としている。 近松門左衛門が初代竹本義太夫のために書いた「出世景清(貞享3年:1686)」があまりに革命をもたらせた浄瑠璃作品だったので、それ以前を「古浄瑠璃」以降を「新浄瑠璃(当流)」といって区別する。江戸時代初期には数多の浄瑠璃が現れたが、現存する浄瑠璃は「義太夫節」「河東節」「一中節」「常磐津節」「富本節」「清元節」「新内節」「宮園節」の8つがあるが、古浄瑠璃はこれら新浄瑠璃に名残を残している。芸風は主に軟派と硬派に分別され、太夫が人形遣いを兼ねることが多かった。滝野検校、澤住検校という二人の当道座の検校(一説では勾当)によって従来の浄瑠璃に節が作られ、琵琶で演奏されたものが三味線を用いるようになり、現在の『浄瑠璃』を薩摩浄雲の頃から糸繰りから手遣いに変わったという。 ==参考文献== *『日本音楽の歴史』吉川英史著、創元社、昭和40年 *『古浄瑠璃の研究』若月保治著、桜井書店 昭和18年 *『大辞泉』小学館、1998年 *『大辞林 第三版』、三省堂、1995年 *『日本人名大辞典』、平凡社、1979年 *『世界大百科事典』、平凡社、2007年 *『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞社、1994年 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「古浄瑠璃」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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