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古谷 三敏(ふるや みつとし、1936年8月11日〔 - )は、日本の漫画家。満州の大連生まれ、茨城県鹿島郡神栖町(2005年に合併で神栖市に)出身〔。薀蓄を多く含んだ漫画を得意とする。 == 経歴・人物 == 1955年、『みかんの花咲く丘』(島村出版)でデビュー〔。1958年に手塚治虫のアシスタントになり、1961年に一度独立して月刊『少女』(光文社)等に連載を持つ。1963年に編集者の推薦により赤塚不二夫のアシスタントになる。 1965年に赤塚不二夫が設立したフジオ・プロダクションに参加。フジオプロ在籍時代はアイディアスタッフのメインとして『おそ松くん』『天才バカボン』など赤塚作品に多く関わっていたほか、並行して少女誌を中心に自作も手掛け、1970年から『週刊少年サンデー』に連載した『ダメおやじ』のヒットで、少年誌向けギャグ漫画家として人気を博し、同作で第24回(1978年)小学館漫画賞を受賞した。当時はフジオプロの大黒柱とまで呼ばれた。 その後、フジオプロから独立し、1974年9月に芳谷圭児とともに『ファミリー企画』を設立。以後は青年誌を中心に活動を続け、薀蓄を交え、サラリーマンのユーモラスな日常生活を描いた「減点パパ」を始め、酒の世界と人間ドラマを織り込んだ「BARレモン・ハート」、落語と噺家の人生を描いた「寄席芸人伝」など数多くの作品を世に送り出している。 1975年から現在まで毎日新聞「日曜くらぶ」に「ぐうたらママ」を連載し約40年の長期連載となっている。 漫画家以外の活動では、日本テレビ『おはよう!こどもショー』内でイラスト講座を担当したことがある。 大泉学園駅にて漫画と同名の「BARレモンハート」の経営者でもある。阿佐ヶ谷でも「Beer Bar レモンハート」を経営し孫が勤めていたが閉店、その孫は現在「BARレモンハート」のチーフバーテンダーとなっている。その孫はゴールデンボンバーに所属していた事もある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「古谷三敏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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