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句読点(くとうてん、英:punctuation)とは、句点(。)と読点(、)の総称である。最も狭義には終止符(.)とカンマ(,)のみを指すが、より広く疑問符(?)や感嘆符(!)、省略符を含む場合、さらに広義には括弧、カギ括弧などの文章に使う様々な記号(約物)を含む場合がある。 句読点は、その置き方により構文上の重大な変化を起こしうる。例えば、"eats, shoots and leaves"(食って撃って逃げる)と"eats shoots and leaves"(芽と葉を食べる)の場合、カンマを入れることによって意味が変化する。日本語では分かち書きの習慣がないため、さらに誤解が起きやすく(アフガン航空相撲を参照)、誤解を防ぐために読点を多く打つことがある。 多くの言語では、文の構造を示したり、曖昧さの回避のために重要な要素となっている。 同一とみなされる言語でも、国や地域によって正書法が異なることもある。例えば英語では、英国式では引用符で句を括った場合に、その引用に属さない句読点は引用符の外に出すが、米国式では中に入れる〔 (§6.8-6.10)〕。 == 歴史 == 初期のアルファベット表記では大文字と小文字の区別も、単語間の空白もなかったが、古代ギリシャで文章を音読するときに休止を置く場所を示すための記号として点が使われはじめた。ラテン語ではアエリウス・ドナトゥスらが句読点の使用を推奨した。活版印刷術の発展とともに句読点が標準化されるようになった。 ヘブライ語聖書には、節をつけて朗読するためのさまざまな記号が文字の下に附されており、そのうちのあるものはそこで切れる(または切れない)ことを知るために使うことができる。一方、現代ヘブライ語では西洋の句読点と同じものを使用している。現在は、それ以外の言語でも西洋と同じ、または類似した句読点を採用していることが多い。西洋と異なる句読点としては、縦棒を用いるもの(チベット語など)、空白を用いるもの(タイ語など)、複数の点や横線を組み合わせたもの(エチオピア文字)などがある。 中国には古くから句読点に相当する記号が存在した。たとえば戦国時代の郭店楚簡には句読点に相当すると思われる記号が付されている。後には句点と読点を区別する工夫も行われた。しかし句読点を記すことは必須ではなく、大部分の書物には句読点が書かれていなかったため、読む側で句読点をつける必要があった。20世紀にはいると西洋の影響で区切り記号を使用することが試みられ、これを「新式標点」と呼んだ。1919年に胡適・馬裕藻・周作人・朱希祖・劉復・銭玄同の6人が教育部に「請頒行新式標点符号議案」を提出し、翌年正式に公布された。中華人民共和国では従来の標点符号に少し変更を加えたものを1951年に『標点符号用法』として公布した。『標点符号用法』は1995年に改訂されて国家標準 GB/T 15834 として公布され、その後も数回の改訂を経ている〔 〕。台湾では1987年に教育部が『重訂標点符号手冊』を発行した(2008年に修訂)〔 〕。 日本では中世以前、正式な文書は漢文で書かれていたので、中国と同様であった。中世以降、仮名書き文や漢字仮名交書き文が普及したが、草書体から発展した平仮名での筆記は、文章の区切りごとに繋がって綴られることが多く、また語頭とそれ以外で仮名を使い分けたり、漢字と仮名を交ぜ書きすることによって、ある程度句読点に相当する機能を果たしていた。 近代に入って活字の使用が増え始めると、明治20 - 30年代以降、日本語での句読点の使用が、徐々に現れはじめた。句読点の置き方の標準がはじめて公的に示されたのは、明治39年(1906年)の文部省大臣官房圖書課の「句読法案(句読点法案)」である〔(国立国会図書館)〕。戦後のものとしては「くぎり記号の使ひ方(案)」などがある。詳細は「公用文作成の要領」を参照。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「句読点」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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