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台湾ニューシネマ(たいわん-)は、80年代から90年代にかけ台湾の若手映画監督を中心に展開された、従来の商業ベースでの映画作りとは一線を画した場所から、台湾社会をより深く掘り下げたテーマの映画作品を生み出そうとした一連の運動である。 台湾映画界にそれまでとは全く異なる新潮流をもたらしたという意味で、フランス映画のヌーヴェルヴァーグに相当する運動といえる。 == 背景 == 第二次世界大戦後からしばらくの間、台湾は中国国民党政府の台湾への撤退、二・二八事件や戒厳令施行などに象徴されるような省籍矛盾を背景とした内政問題、中国大陸での中国共産党政権成立に伴う国連脱退や諸外国との国交断絶など一連の政治的混乱の中で、社会的・経済的にも停滞が続いていた。 しかし70年代に入ると、当時の行政院長であった蒋経国の指導下で十大建設に基づくインフラ整備が進められるなど経済発展が加速した。台湾社会が農業社会から工業社会へと変貌を遂げ経済力をつけていく中で、人々の生活にも次第に余裕が生まれ、70年代には映画が市民の娯楽として定着するに至った。そのような状況下、人々の需要に答えるべく、アクション映画や恋愛映画など娯楽ジャンルを中心に数多くの作品が台湾でも作られるようになった。 しかし、それら作品の内容は次第にパターン化・マンネリ化して観客に飽きられるようになり、人々の目が香港映画や洋画などに向けられるようになっていった。香港映画が従来のコメディー路線に加え、許鞍華など「新浪潮」(香港ニュー・ウェイヴ)の旗手たちの手による写実的な作品を台湾の映画市場に参入させ、電影金馬奨など台湾国内の映画賞を次々と受賞する一方で、国際映画祭はもとより、国内の映画コンテストでも賞をとれないレベルの作品しか作られないなど、80年代初めの台湾映画界は大きく低迷し、また観客動員数も減少した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「台湾ニューシネマ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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