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台湾光復[たいわんこうふく] 台湾光復(たいわんこうふく)は、日本の統治下の台湾において日本の統治が終わったことを指す。 == 「カイロ宣言」と光復 == 第二次世界大戦末期の1944年11月7日、フランクリン・ルーズベルト米国大統領、チャーチル英国首相そして中華民国の蒋介石は、「カイロ宣言」に署名をした〔呉(2010年)222ページ「カイロ宣言」の項〕。そこには、日本が「満州、台湾、澎湖島のごとき日本国が中国人より盗取したる一切の地域を中華民国に返還する。」ことが述べられていた〔〔このようにカイロ宣言は日本敗戦後の台湾の主権の帰属について明確な主張をしている。日本は、このカイロ宣言の発表後も投降しなかったので、同盟国は早期に戦争を終結させるため再度「ポツダム宣言」を発表し、カイロ宣言の主張を繰り返した。このため中華民国、中華人民共和国の双方がカイロ宣言を根拠として「台湾の主権を有している」と主張しているのである(後掲「増補改訂版台湾史小辞典」(2010年)222ページ「カイロ宣言」の項)。〕。それまで中国共産党は戦後の台湾の帰属について態度が明確でなかったが、このカイロ宣言にて英米が対日戦勝利後の台湾の帰属について意思を明確にしたことにより、中国共産党も態度を明確にした〔若林(1999年)62ページ〕。これにより中国主要政治勢力が台湾を中国の一部とするとようやく決まった〔。ここに台湾は「光復」されるべき土地となったのである〔「光復」とは中国語の古い言葉で固有のものを回復すること、とりわけ失われた国土の回復を指す〔周(2013年)197ページ〕〔しかし、漢文の基礎知識をもつものであれば、この言葉が祖国復帰を表すことは容易にわかるはずだが、日本による皇民化教育を受けた若い世代の中には、「光復」の意味がわからず、日本語で同じ音の「降伏」と理解するものも多かった(後掲周婉窈著・濱島敦俊監訳「図説台湾の歴史(増補版)」(2013年)平凡社197ページ)〕。そして、米、英、ソ三国の指導者が7月26日に発表したポツダム宣言には、日本が前記「カイロ宣言」を誠実に履行することを求めていた〔呉(2010年)224ページ「ポツダム宣言」の項〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「台湾光復」の詳細全文を読む
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