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台湾文化協会[たいわんぶんかきょうかい] 台湾文化協会(たいわんぶんかきょうかい)は日本統治下の台湾において1921年(大正10年)に設立された文化的啓蒙を目的とする民間団体である。 == 成立 == 蒋渭水が提唱し、林献堂が先頭に立って青年学生を結集し、1921年10月17日に設立大会が開かれた〔「台湾史小事典」中国書店(福岡)(2007年) 監修/呉密察・日本語版編訳/横澤泰夫 181ページ〕。大会は、台北市の静修女子学院(現在の静修女中)にて行われ、医師、地主、公学校卒業者や海外留学経験者を中心に1,000名を超す出席者が出席した。この設立大会において林が総理に就任した。設立時のその他主要人物としては、王敏川、林呈禄、蔡恵如、李応章、林幼春、蔡培火、連温卿などがいる。同化会、新民会の流れを汲むものといえる。同年11月30日の発足総会において、医師でもある蒋渭水は、自身を主治医、台湾を患者に見立てた「台湾診断書」と称する演説を残している。すなわち「台湾人は今病気にかかっている。その病とは知識の栄養不足症である。文化運動のみがこの病の唯一の治療薬である。文化協会は研究を重ねて治療を施す機関である。」と述べている〔殷允芃編/丸山勝訳「台湾の歴史-日台交渉の三百年」藤原書店(1996年)364ページ〕。同協会の設立趣旨がよく表れている演説である。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「台湾文化協会」の詳細全文を読む
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