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中正紀念堂(ちゅうせいきねんどう)は、中華民国台北市中正区に位置する総統蒋介石の顕彰施設。台湾の三大観光名所の1つであり〔、中国の伝統的な宮殿陵墓式が採用されている。 == 概要 == 中正紀念堂は、中華民国の初代総統である蒋介石を顕彰し1980年に竣工した。中正紀念堂の「中正」とは蒋介石の本名である。 蒋介石が1975年に死去した際、行政院(日本の内閣に相当)は全国民の哀悼の意を表すことを目的とする紀念堂の建設を決定し、同年6月26日に14人の政治家、文人、実業家からなる中正紀念堂建設委員会を設置した〔長谷川(2009年)、790ページ。〕。同年7月、委員会は大局的な建設方針を決定し〔白(2009年)、5ページ。〕、また民間の専門家の意見を取り入れ、8月22日にはコンペティション要綱を公開した〔白(2009年)、6ページ。〕。その1年後、43組の応募の中から楊卓成の設計案が採用された〔白(2009年)、7ページ。〕。 中正紀念堂籌備小組籌備委員(後に中正紀念堂籌建指導委員会と改称)が建設準備を推進し、蒋介石生誕90年に当たる1976年10月31日に起工式が催され、1980年3月31日に完成した〔。蒋介石逝去5周忌の4月4日に併せて落成式が盛大に行われ、海外の3000名余りの華僑・華人が参加し〔白(2009年)、9ページ。〕、翌4月5日に一般公開された〔。 午前6時30分に儀仗隊が中正紀念堂に進駐し、午前9時より警護及び毎時交代儀式が行われている。儀仗隊交代式は台湾観光の名物となっている。なお、儀仗隊の交代儀式は、水曜日は午前10時から午後6時まで、それ以外の日は午前10時から午後4時まで、1時間ごとに行われている。 民進党政権下での「台湾正名運動」の影響で、2007年には「台湾民主紀念館」に改名され、入り口の門に書かれた「大中至正」の文字が「自由広場」に架け替えられ、儀仗隊交代式が中止していた時期がある。国民党が政権復帰した2009年に、再び元の「中正紀念堂」に戻る(ただし、「自由広場」はそのままである)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中正紀念堂」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Chiang Kai-shek Memorial Hall 」があります。 スポンサード リンク
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