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第48師団 (日本軍)[だいよんじゅうはちしだん]
第48師団(だいよんじゅうはちしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。 ==沿革== 第48師団は、日中戦争勃発後華中から華南を転戦し、第22軍隷下広東省に在った台湾混成旅団〔第二次上海事変の増援として、1937年(昭和12年)9月7日に台湾守備隊基幹の重藤支隊が編成され上海派遣軍に編入、上海と南京の攻略に従事し、翌1938年(昭和13年)3月1日、守備隊指揮官が波田重一少将に替わると「波田支隊」と改称し、同年11月9日飯田祥二郎少将に替わり「台湾混成旅団」と改称した。〕に、第6師団から転用された歩兵第47連隊を加え編成された台湾軍の師団である。編成に先立ち第22軍は廃止され、南支那方面軍直轄から第23軍隷下を経て、1941年(昭和16年)8月12日に台湾軍隷下となり台湾に戻った。 その後、太平洋戦争開戦1ヶ月前の1941年(昭和16年)11月6日に再び動員された。第48師団は第5師団とともに揚陸能力を備えた機械化師団〔太平洋戦争開戦時、揚陸能力を備えた機械化師団は第5師団と第48師団の二つのみであった。〕のうちの一つであり、極めて重要な存在だった。開戦後、まずは第14軍の主力としてフィリピンの攻略に従事した。 マニラ占領後はバターン半島の攻略には向かわず、1942年(昭和17年)1月に蘭印作戦のため第16軍戦闘序列に編入され、3月1日ジャワ島東部に上陸し、3月7日スラバヤを攻略した。 蘭印作戦終了後はジャワ島の警備にあたり、1943年(昭和18年)1月に第19軍隷下となるが、1945年(昭和20年)2月28日に第19軍が廃止されたため、再び第16軍隷下となりティモール島で終戦を迎えた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第48師団 (日本軍)」の詳細全文を読む
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