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8900形は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道院が輸入した、幹線旅客列車牽引用のテンダー式蒸気機関車である。1912年(明治45年)6月に運行が開始された日本初の「特別急行列車」の牽引を務めることにもなった機関車である。 == 概要 == 1911年(明治44年)にアメリカのアメリカン・ロコモティブ(アルコ)社(American Locomotive Co, Ltd. = Alco)で製造された過熱式機関車である。機関車本体のみ2次にわたって36両が製造された(炭水車は国内製造)。1次発注分の24両(製造番号49805 - 49828)はブルックス工場(Brooks Works)、2次発注分12両(製造番号50535 - 50546)はリッチモンド工場(Richmond Works)製である。形式は、当初8600形が予定〔当時同番号を付された8550形があったが、これをどう処理するつもりであったのかは不明である。〕され、1次発注分の24両は8600 - 8623の番号を付けて来着したが〔『鉄道ファン』2001年12月号、110頁にブルックス工場で撮られた写真が掲載されている。〕、車軸配置の変更にともない8900形(8900 - 8923)に改められた。2次発注分は当初から8924 - 8935で落成している。 ドイツのベルリーナ製8800形、ボルジッヒ社製8850形、イギリスのノース・ブリティッシュ・ロコモティブ社製8700形と同様の経過で発注が行われたものであるが、車軸配置4-6-0(2C)の他形式に対し、従輪を採用し、日本初の4-6-2(2C1)形軸配置のテンダー機関車となった。 これは、火室を従輪上に置くため、4-6-0形に比べて火格子面積を広げることが可能で、幹線用機関車として余裕があるのに越したことはなく、近い将来の輸送量増加も期待できることから、アルコ社の提案を受け入れたものである。とはいえ、計36両もの大量発注となったのは、アルコ社の日本における代理店であった三井物産の強力な政治的運動の結果であったようである〔ただし当時の工作課課長である斯波権太郎は、ドイツ流の狭火室・無従輪をよしとする島安次郎と異なり、低品質な常磐炭を燃料として十分な性能を得る必要から、従輪により支持された広火室や燃焼室などの最新機構を他に先駆けて導入し、そのメリットを享受していた日本鉄道の出身であった。そのため、彼はたとえそれが三井物産の政治運動であろうと、仕様変更の申し出を歓迎していた可能性がある。〕。 本形式自身は短命に終わったものの、その約1000PSという出力、ボイラーのサイズは、18900形(C51形)・C54形・C55形・C57形にまで受け継がれており、また足回りについては本機の動輪を拡大しただけのC51形が、基本設計を前掲のライトパシフィック4形式に加えて、C59形から戦後のC62形まで受け継がれた点を勘案すると、その採用を島安次郎が批判したものの、国鉄蒸気機関車の中では、D50形に並んで実り多い系図の頂点に立つ機関車であるといえる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国鉄8900形蒸気機関車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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