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史上最強打線(しじょうさいきょうだせん)とは、2004年の読売ジャイアンツの打線の愛称である。命名者は巨人の元監督で終身名誉監督の長嶋茂雄。 == 概要 == 2003年の巨人は、前年限りでニューヨーク・ヤンキースに移籍した松井秀喜の穴埋めが出来なかったことや、投手陣の崩壊によって3位となり、連覇を逃したため、監督の原辰徳が任期を1年残して辞任する事態に至った。 苦戦を強いられた巨人は、大阪近鉄バファローズを自由契約になっていたタフィ・ローズを獲得。また福岡ダイエーホークスから、その年のオープン戦で膝に重度の故障を負った小久保裕紀が無償トレード扱いで移籍。この結果、2003年までに巨人に移籍していた清原和博、江藤智、ロベルト・ペタジーニと合わせて、かつて他球団で4番を打った打者5人が巨人に集まることになった(清原以外の4人は本塁打王のタイトルを獲得している)。しかし小久保は当初1988年に吉村禎章が膝に負った右膝靭帯断裂と同等の故障を負っており、ローズは高齢であった。 一方で生え抜きの選手にも高橋由伸、阿部慎之助、仁志敏久、斉藤宜之、清水隆行、二岡智宏と打力のある選手が多く、また本拠地の東京ドームは本塁打が出やすい構造のため、1980年にチャーリー・マニエル、栗橋茂、羽田耕一らを擁しいてまえ打線と呼ばれた近鉄バファローズ打線が打ち立てたシーズンチーム本塁打記録(239本)の更新がシーズン前から大きく期待された。 結果的に、チーム本塁打は近鉄の記録を更新し(最終的には259本まで伸びた)、打点(719)、長打率(.483)、出塁率(.339)もセ・リーグ1位と、史上最強打線の名に違わぬ成績を残した。 上記のような記録を打線が残す一方で、100打点を挙げた選手が一人もいなかった。最多打点はタフィ・ローズの99だった。チーム防御率はリーグ1位の中日ドラゴンズの3.86から大きく離されてリーグ4位の4.50に終わるなど、投手陣は不振であった。巨人の順位は、チームの得点が738で失点が677というように得点が失点を上回っているにもかかわらず、得失点が各々618と691というように得点が失点を大きく下回った2位のヤクルトスワローズに次ぐ3位であった。100打点を挙げた選手が一人もいなかったことから、ホームランはソロホームランが多かったのが要因でもある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「史上最強打線」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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