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京都 神田明神[きょうと かんだみょうじん] 京都 神田明神(きょうと かんだみょうじん)旧名:神田神宮〔以前は入り口に「史跡 神田神宮」というプレートがかけられていた。〕とは、平將門の首が晒されたとされている地に残されている祠である。天慶の乱の後、 貞盛、秀郷に討たれた将門の首級は平安京まで送られ東の市・都大路で獄門にかけられた。その首の行方から将門塚(しょうもんづか)をはじめ数々の伝説が全国各地に残されている。
== 概要 == 所在地:京都市 下京区 綾小路通西洞院東入新釜座町728 京都・四条通を南の綾小路通りへ少し下がった路地に民家の軒下に埋め込まれるように祀られている。所在する新釜座町の地は、平安時代当時は左京五条三坊一保一町の町中であったが、後には 太政大臣・藤原頼忠の四条宮となった。その後再び町屋になったという、市内でも古い町である。2010年(平成22年)2月に行われた改修工事以前は、民家軒下の壁が路地にせり出しており、上部には格子の中に古い廚子が納められ、下部には壁の中に石が塗りこまれていた。その後、祠は民家の中に移設され、下部にあった石と共に祀られるようになった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「京都 神田明神」の詳細全文を読む
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