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右大将 : ウィキペディア日本語版
近衛大将[このえ の だいしょう]
近衛大将(このえ の だいしょう)は、日本の律令官制における令外官の一つ。宮中の警固などを司る左右の近衛府長官。左近衛府には左近衛大将(さこんえのだいしょう)、右近衛府には右近衛大将(うこんえのだいしょう)が置かれ、それぞれ略して「左大将」「右大将」ともいう。定員は各1名で、権官はない。官位相当従三位。常設武官の最高職で、馬御監の兼任とされた。和訓は「ちかきまもりのつかさのかみ」。
== 概要 ==
天平神護元年(765年)の近衛府設置時には正三位の官位相当。延暦12年(793年)に従四位上に降格したが、6年後の延暦18年に従三位に昇格し、定着する。
古くは参議以上の兼務であったが、平安時代中期以後には大臣大納言が兼任するのが一般的になったため正三位以上の者が就くことが多く、内大臣が空席になると大納言のうち席次が下位でも近衛大将を兼官する者が昇進したことから、武官としての実質を失っても公卿が兼帯を渇望する官だった。納言で兼任した者は、「右(左)大将何某」と呼ばれることが多く〔例えば、百人一首における「右大将道綱」。また、寛平御遺誡では当時大納言で大将を兼任していた藤原時平菅原道真をそれぞれ「左大将藤原朝臣」、「右大将菅原朝臣」と記している。鎌倉時代には源頼朝(権大納言兼右大将)を「右大将家」と呼ぶ。〕、大納言よりも上位と認識されていたことが見て取れる。摂関家嫡男などは権中納言で大将を兼任する例がよく見られた。なお、大将を兼ねる大臣(左大臣右大臣内大臣)が摂政関白太政大臣になると、大将を止める例であった。平安時代中期以降、近衛大将には摂関家・大臣家の子弟・天皇外戚家出身者・源氏賜姓された皇子や皇孫(親王の子)の公卿らが主に任じられ、任じられた者も大部分が大臣に昇進した。近衛大将に任じられる家は貴族社会の中でも最高の家格となり、中世以降の摂家清華家につながる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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