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右田年英 : ウィキペディア日本語版
右田年英[みぎた としひで]
右田 年英(みぎた としひで、文久3年6月17日1863年8月1日〉 - 大正14年〈1925年2月4日)とは、明治時代から大正時代にかけての浮世絵師日本画家。ただし生年は文久2年(1862年)ともいわれる。
== 来歴 ==
月岡芳年の門人。豊後国(現・大分県海部郡臼杵村に生まれる。名は豊彦。通称は豊作。梧斎、晩翠楼、一穎斎などと号す。初め芳年について浮世絵を学び、また国沢新九郎の画塾に入り、油絵を学んでいる。「東京朝日新聞」などの挿絵を描き、錦絵では明治20年(1887年)頃から3枚続の「春遊三美人」(明治23年)などの美人画を描いていたが、その後、日清戦争日露戦争などの戦争絵や新聞挿絵、役者絵などを制作した。また、明治22年(1889年)の青年絵画共進会に「福女団扇を執て立つの図」を出品したりもしている。大正5年(1916年)、脳溢血で倒れる。大正10年(1921年)には熟練した最高の技術を誇る絵師彫師摺師の作り出す伝統的木版画錦絵を後世に残すため、「年英随筆刊行会」を創設、「年英随筆」を版行している。この「年英随筆」は現在までに14種類の作品が知られている。大正14年(1925年)、63歳で歿した。弟に右田寅彦(みぎた のぶひこ)がおり、門人に鰭崎英朋河合英忠伊藤彦造伊東英泰、柚木英尚、天野英雅、山本英春、笹井英昭、福手英宣、武石英郷、山川英茂、松下英業、大野英起、都賀英寛、渡辺英素、山田英辰、寺田英光らがいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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