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司馬幹 : ウィキペディア日本語版
司馬幹[しば かん]
司馬 幹(しば かん、232年 - 311年)は、西晋皇族子良司馬懿の第7子(或いは第8子とも)。生母は張春華(宣穆皇后)で司馬師司馬昭の同母弟。司馬亮司馬伷の異母弟。平原王に封じられた。
== 生涯 ==

=== 奇行 ===
の時代は安陽亭侯、平陽郷侯を得、散騎常侍、撫軍中郎将に任じられた。264年に五等爵が創設されると、定陶伯に改封された。
265年、甥の司馬炎(武帝)が禅譲により皇帝として即位すると、平原王に封じられ、1万1300戸の食邑、鼓吹と馬2匹を下賜され、侍中の服を加えられた。司馬炎は咸寧の初めに一族の諸王を封国に赴かせたが、司馬幹には重い病気があって精神が正常ではなく、性格は極めて純粋で欲が少なかったので、特詔によって都に留めた。太康の末に光禄大夫を拝命し、侍中を加官、特別に金章紫綬を仮されて、序列は三公に次いだ。290年に恵帝が即位すると、更に左光禄大夫に昇進し、剣履上殿と入朝不趨を許された。
司馬幹は自ら政務は執り行わなかったが、人事異動をする際には必ず才能で選んだ。爵位や俸禄がありながら、まるで自分にはないような様子で、秩禄や布帛はすべて山積みにして腐らせてしまった。長雨が続いた時は、牛車を外に出して露車(幌のない車)を中に入れた。ある者がその訳を尋ねると、「覆いのないものは中に入れたほうがいい。」と答えた。また、朝臣が訪問して名前を伝えても、司馬幹は必ず車馬を門外に留めさせて、あるときは一晩中会わないこともあった。天子に拝謁した際、他人との応対は穏和で恭順であり、まったく落ち度はなかった。相次いで愛妾が亡くなったが、棺に収めても釘を打たなかった。そして空室に置いておき、何日間か見に行ったり、その遺体に淫らな行為を行ない、屍が腐壊すると初めて葬った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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